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「別人です、別人」14年ぶりVリーグ優勝へ導いた柳田将洋の“変貌”…日本代表主将は交代も「ショックはない。だって石川なら」 

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米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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posted2021/04/11 11:00

「別人です、別人」14年ぶりVリーグ優勝へ導いた柳田将洋の“変貌”…日本代表主将は交代も「ショックはない。だって石川なら」<Number Web> photograph by KYODO

リーグ優勝に貢献したサントリーサンバーズの柳田将洋。日本代表では主将の座を石川祐希に託す形となったが、「やることは変わらない」とさらなる飛躍を誓った

「中期、長期の目標というものを考え直すだけで十分なモチベーションになりました。まずはリーグ優勝が目標だし、次はオリンピックだったり、やっぱり日の丸を背負ってもう1回戦いたいという思いがあるので。そこまでが中期目標。プロ選手として何ができるか、どうしたらこのバレー界が盛り上がっていくんだろう、というところまでが長期の目標。そこはまだ漠然としていますけど、ずっと考えていることです」

 そして4月4日、柳田は1つの目標を達成した。初めてのVリーグ優勝。その瞬間、チームメイトと抱き合い、飛び跳ね、無邪気に喜んでいた柳田が、スタッフと抱き合った直後、突然顔をくしゃくしゃにして泣き出した。ユニフォームで涙をぬぐい、肩を震わせた。

 柳田が涙を見せることは珍しい。本人の記憶では春高バレー以来で、「自分でも意外でした」と苦笑した。

「自分が海外でやっている間も、ずっと気にかけてくれたスタッフの方がいらっしゃって、その人にずっと、『サンバーズは優勝から遠ざかっている。もう1回強いサンバーズを作るために戻ってきてほしい』と言われていて、僕は毎回振ってしまっていたんですけど(笑)、またここに受け入れてくれて、ここで優勝することができた。その人と抱き合った時に、それまでの記憶がよみがえって……」

 そのスタッフとは、栗原圭介チームディレクターだ。栗原は柳田が大学生の時にスカウトを担当し、私生活でも親しくしてきた。

海外生活でも支えてくれた栗原の存在

 栗原は、サントリーが前人未到のVリーグ5連覇を果たした2003-04シーズンに正セッターとなり、06-07シーズンの優勝時は主将を務めていた。当時のサントリーといえば“常勝軍団”。しかし翌年、僅差で決勝進出を逃すと、14年間もリーグ優勝から遠ざかった。現役引退後、コーチやチームディレクターとしてチームに関わり続けてきた栗原にとって優勝は悲願だった。

「やったなー。ありがとう」

 栗原にそう言われ、抱き合った瞬間、柳田の感情があふれた。

「海外に出ていったからもう用はない、というんじゃなくて、僕が海外で大変じゃないかと常に気にかけてくれて、毎年『どや?』と会いにきてくれた。そういう気遣いが僕にとってはすごく大きかったし、自分に声をかけ続けてくれたのもすごく嬉しかったので、そういうことを思い出して、ちょっと感極まったという感じです」

 少し照れくさそうにそう振り返った。

 昨季は3位と、ファイナルまであと一歩に迫っていたサントリーにとって、柳田の加入は、優勝への最後のひと押しになった。栗原は言う。

「取り組む姿勢やプロ意識という、昨季までチームに欠けていた部分で、お手本になった。コート上でのプレーやキャプテンシーももちろんですが、日頃の練習の姿勢や、若い選手に声をかけたり。大宅もキャプテンとしてまだまだな部分があったけど、マサがいろいろ話をしてくれた。若い選手に、ああなりたいとか、こうしなきゃいけない、というものを植え付けてくれた。そういう部分は、監督やコーチが言って変わることじゃないと思っているので、選手が態度で示してくれたことはものすごく大きい。個人だけじゃなくチームのことを考えた行動が、こうして優勝につながったんじゃないかと思います」

【次ページ】  日本代表主将は石川祐希に

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