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落合博満「絶対に動くな!」、原辰徳「原点は100%親父」 両監督を知る“参謀”が落合野球と原野球を比べると…

posted2021/04/02 17:05

 
落合博満「絶対に動くな!」、原辰徳「原点は100%親父」 両監督を知る“参謀”が落合野球と原野球を比べると…<Number Web> photograph by KYODO

巨人・原辰徳監督のもとで、2013~15年の3年間ヘッドコーチを務めた川相昌弘氏

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赤坂英一

赤坂英一Eiichi Akasaka

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 4月1日発売のNumber1024号「20年目の原巨人」には、「原采配の真髄」を語る元参謀のひとりとして、川相昌弘が登場する。1983年に巨人に入団し、10年以上に渡って原辰徳とともにプレー。現役引退後は2013~15年の3年間、監督となった原の下でヘッドコーチを務めた。長い付き合いだけに、原監督の言葉や表情から胸中を読み取る観察眼には独特の鋭さがある。

 その川相は原監督の参謀に就任する前、中日で落合博満監督の薫陶を受けた。04~06年は貴重な控え選手として、07~10年は一軍内野守備走塁コーチや二軍監督として尽力。当時、セ・リーグの首位戦線で火花を散らしていた原、落合両監督の野球を最も間近に見た唯一の野球人と言っていい。

 原采配と落合采配はどこがどのように違うのか。川相ならではの比較論を聞きたい。そう尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「原さんは動。落合さんは静。両監督の特長を一言で表せば、そうなります」

 確かに、原監督は実によく動く。オーダーを何十通りも組み替え、走者が出ると果敢にヒットエンドランやダブルスチールを仕掛けていく。相手の意表を突くボールカウントでサインを出し、同じベンチにいるコーチ陣を驚かせることも珍しくない。

「何もしないで負けるより、動いて勝てなければ仕方がない、と考えるのが原監督です。作戦が成功すれば、浮き足だった相手をさらに攻め込み、畳みかけていく。逆にもし失敗したら、『しっかり状況判断ができなかったのか!』とハッパをかける。僕たちコーチ陣にも『もっと何とかできないか? 何かないのか?』と、次の一手を求めてくるんです」

原辰徳「僕の原点は100%親父」

 そうした「動」の原野球の原点は父・貢氏の采配にある。貢氏は三池工(福岡)の監督だった1965年、夏の甲子園で全国制覇。その後、請われて東海大相模(神奈川)の監督となり、息子・辰徳を擁して4季連続で甲子園出場を果たした。

【次ページ】 原辰徳「僕の原点は100%原貢」

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