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落合博満「絶対に動くな!」、原辰徳「原点は100%親父」 両監督を知る“参謀”が落合野球と原野球を比べると…
text by
赤坂英一Eiichi Akasaka
photograph byKYODO
posted2021/04/02 17:05
巨人・原辰徳監督のもとで、2013~15年の3年間ヘッドコーチを務めた川相昌弘氏
その中で、「あれは大胆なサインだった」と、川相らコーチ陣に繰り返し語っていた作戦がある。原監督が高1だった74年夏の甲子園、2回戦の土浦日大(茨城)戦だった。1-2と1点リードされていた9回2死一塁で、二盗させて成功。これをきっかけに土壇場で同点に追いつき、延長16回の末にサヨナラ勝ちしたのだ。
「すごかったよ。9回ツーアウトから盗塁を仕掛けて、失敗したらそこでおしまいだろ。でも、親父はそれをやったんだからな」
初めて巨人監督に就任した01年シーズンオフには、その父・貢氏から「自分を信じて思い切りやれ」と激励された。当時の原監督は「僕の原点は100%原貢」と、私のようなライターにも熱っぽく語っていたものだ。
落合博満「絶対に動くな、最後までじっとしておけ」
一方、落合監督は滅多なことでは動かない。リードしている試合で、積極的に攻めれば中押し点、ダメ押し点が取れる展開になっても、とにかく「じっとしておけ」と言うのが口癖だった。川相が明かす。
「落合さんは走塁でアウトになることを一番嫌っていました。野球ではそういうひとつのアウトをきっかけに、試合の流れがガラリと変わることがあるからです。だから、リードしている試合の後半には『流れが変わるから走るな』と、よく指示していました」
当時、二遊間を守る1・2番コンビ、アライバ(荒木雅博と井端弘和)が出塁した場合、サインは基本的にグリーンライト。彼らは塁に出たら、自分たちの判断で自由に盗塁することができた。が、いくら有利に進めている試合でも、落合監督がどうしても走らせたくないと判断すると、必ずストップのサインを出して走者を釘付けにしていたという。
「追加点が取れなくても、無得点でチェンジになってもいいから、『絶対に動くな、最後までじっとしておけ』と落合さんは強調していました。そうして攻撃で点を取らないまま、少ないリードを守り切り、最後には勝った、という試合が多かったですね」
「落合さんは何のサインも出してなくて…」
そんな内情とは裏腹に、相手ベンチの首脳陣はいつも落合監督が動いてくることを警戒していた。「落合さんは静でありながら、動のように見せかけるのが巧みだったから」だと、川相がこう解説する。