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「そんなに怒んなよ」「なんだよ!」“ダルの女房”で花開いた日本ハム鶴岡が説く「エース専属捕手の生き方」
posted2021/03/25 17:10
text by
熊崎敬Takashi Kumazaki
photograph by
KYODO
2002年のドラフト8巡目。入団テスト経由で日本ハムファイターズの一員になった鶴岡慎也が、40歳の節目の年を現役選手として迎える。Number1023号「エースを生きる」では、鶴岡を中心に、パ・リーグのエース投手の「専属捕手」を足がかかりにキャリアを花開かせた3人の捕手を特集。時に「夫婦」にも例えられるバッテリーにおいて、運命の相手との出会いや“円満”の秘訣、捕手として受けた影響などを振り返ってもらった。
現在、一軍バッテリーコーチを兼任する鶴岡は、“長寿”の秘訣を「ダルビッシュのおかげ」と語る。
「年齢はあいつが5つ下。いや、あいつ呼ばわりしたら怒られるかな。でも野球のレベルはダルビッシュが何倍も上だったので、とにかくついていくのに必死でした」
「そんなに怒んなよ」「なんだよ!」
鶴岡はダルビッシュ専属捕手となることで、地位を確立する。だがそれは、決して平坦な道ではなかった。
プロ野球ではピッチャーの投球をキャッチャーが当たり前のように捕っているが、投げるのがダルビッシュとなると、その当たり前がかなり難しくなるというのだ。
「145キロのフォークや思いっきり曲がるスライダーを止めるのは大変で、もう必死でした。しかもダルビッシュは手先がすごく器用なので、試合中に変化を加えたりするんです。ちょっと小さめのスライダーとか、ツーシームをシンカー系でとか、新しい球を投げてくる。おかげで俊敏に動く技術が身につきました。現役20年近くやらせてもらっているのは、彼と組むことで身についたブロッキングのおかげかもしれません」
ダルビッシュと組むときは、キャッチャーの本分である捕球でしんどい思いをする。だが、その分リードでの苦労はあまりなかった。
「力があまりないピッチャーと組むときは、入念にミーティングをします。一巡目はこう攻めよう、二巡目はこうして、三巡目は、という具合に。でも、彼の場合は違いました。ぼくが変なリードをしなければ、まず打たれない。それくらいバッターとの力の差があるわけなので。ですからぼくの仕事は、たまにイライラするダルビッシュに、“そんなに怒んなよ”って諭すことくらい。でも、そう言ったところで“なんだよ!”って、また怒り出すのですが、そこは“まあまあ”と」
「プロ野球で生きていけない」
気がつけば、チーム全体にダルビッシュが投げれば大丈夫だ、勝てるというムードが生まれていた。孤高のエースの誕生である。