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サポーターが“被災地クラブの番記者”に… 取材での葛藤、気づいたスポーツ報道の尊さ【2011年のベガルタ仙台】
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byKyodo News/Toshiya Kondo/Kahoku Shimpo
posted2021/03/11 06:01
被災地で柳沢敦らベガルタ仙台イレブンが奔走する一方で、河北新報の番記者だった千葉さんは“ある葛藤”を感じていたという
再開初戦前日のコラムで関口と太田を扱った意図
チームが市原からさいたまへと移った16日、千葉もキャンプ地に赴き、取材を再開した。その日、ベガルタは大宮アルディージャと練習試合を行い、23日のリーグ再開、アウェーの川崎フロンターレ戦に向けて最終調整に入っていた。
被災者の方々を元気づけるために、俺たちはサッカーをするんだ――。
久しぶりに見たチームは、そんな明確な目的意識を持った戦う集団へと変わりつつあるように感じられた。そうした選手たちの姿に勇気づけられながら、千葉はトレーニングをつぶさに観察し、彼らの言葉に耳を傾け、思いを必死にかき集めた。
4月22日の『河北新報』の〈燃えろベガルタ〉のコーナーには、関口訓充と太田吉彰に関するコラムが掲載された。「関口と太田“競演も”速さ生かせ」と題したコラムを執筆した意図を、千葉が振り返る。
「当時のベガルタは、どちらかと言うと、守備力が強みのチームだったと思うんです。ただ、強い相手だから守り勝とうという原稿より、勝ってリスタートを切りたい、県民に勇気を届けてほしいという気持ちが、僕にはあった。それで攻撃の要となるふたりにエールを送る意味でも、取り上げたんです」
地震によって途切れた2011年シーズンの、リーグ再開のときが迫っていた。
<後編に続く。関連記事からもご覧になれます>
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