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「ボンズを福島のカープに」 “3.11後にできた”Bリーグクラブで37歳副社長(元トップリーガー)が目指すものとは 

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原山裕平

原山裕平Yuhei Harayama

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photograph byKenji Otsuki

posted2021/03/10 17:01

「ボンズを福島のカープに」 “3.11後にできた”Bリーグクラブで37歳副社長(元トップリーガー)が目指すものとは<Number Web> photograph by Kenji Otsuki

Bリーグ福島の西田創副社長。3.11後にできたクラブとして、東日本大震災にどう向き合ってきたのか

「僕はラグビー人気に乗れなかった人間」

「僕はラグビー人気には乗れなかった人間なんですよ(笑)。2015年の五郎丸(歩)、2019年の田村(優)や、中島イシレリとかもそうですけど、相手として戦った選手や、同じチームの選手が世界の舞台で活躍してうれしい反面、息子には『なんで、父ちゃんはいないの?』なんて、言われたりもしましたよ(笑)。

 そういう悔しい想いもありましたし、高校時代も準優勝で、NECでもベスト4が最高成績。一度も日本一になれなかった悔しさもあります。その想いが、今の活力になっているのかなと思います。それにラグビーは、役割が細分化されるスポーツ。2メートルの選手もいれば、僕みたいな小さい選手でも活躍できる。与えられた役割、責任をまっとうするというのはラグビーから教えてもらったこと。会社を動かしていくうえでも、役に立っている部分です」

チームが成長することで福島県や郡山市が育つ

 10年前、ラガーマンとしてチャリティマッチに出場する側だった西田氏が、10年後に福島でイベントを開催し、お客さんを招き入れる側になったことも、数奇な運命だろう。

「いろんな出会いがあって、ここまで来れている。立場が変わっても、貢献できる幸せを感じています」と語る西田氏が思い描くのは、10年後の未来だ。

「僕がやっていきたいのは、育ち、育てるということ。ファイヤーボンズが成長することで福島県、郡山市が育つ。地域が育つことで、僕らも育ててもらえる。そんな関係性を築くことができれば、福島はもっと元気になれるはず。いつまでも、地道に育ち続けていくクラブでありたいですね」

 元ラガーマンがけん引するバスケットボールクラブは、被災地の新たな希望となれるか。

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