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「ボンズを福島のカープに」 “3.11後にできた”Bリーグクラブで37歳副社長(元トップリーガー)が目指すものとは
posted2021/03/10 17:01
text by
原山裕平Yuhei Harayama
photograph by
Kenji Otsuki
2月27、28日に、福島県福島市にあるあづま総合体育館で、「FIRE UP! FUKUSHIMA 東日本大震災復興10年イベント」が行われた。主催したのは郡山市に本拠地を置くBリーグの福島ファイヤーボンズ。山形ワイヴァンズとのホームゲームに合わせて開催された。
試合は2連敗に終わったが、ハーフタイムには福島にゆかりのあるサンボマスターのライブが行われるなど会場は熱気に溢れ、Bリーグの島田慎二チェアマンも激励に訪れた。コロナ禍による入場制限があるなか、観客動員も今季一番を記録。会場に集まった地元のブースターにとっては、心に残る2日間となったに違いない。
現在、B2リーグ(2部)に所属する福島ファイヤーボンズは、2013年に創設されたバスケットボールクラブである。つまり、大震災が起きた2011年には存在していなかった。
立ち上げの経緯は、原発の影響を受けている
立ち上げの経緯は、原発の影響を受けている。
子どもたちが外で遊べず、運動の機会が減り、肥満率が上昇した。そんな状況を見かね、子どもたちのために何かできないかと考えた結果、室内競技であるバスケット教室をスタートさせたのがきっかけだった。その後、バスケに興味を持ち始めた子どもたちに夢や希望を与える存在として、2013年5月にファイヤーボンズは立ち上げられたのである。
そんなファイヤーボンズだが、経営危機に見舞われ、昨年4月に運営会社が変更となっている。東京で組織コンサルティング事業などを行う株式会社「識学」がオーナー会社となり、同社の西田創氏がファイヤーボンズの副社長に就任した。
副社長は東福岡やNECなどでプレーしたラガーマン
「西田創」という名前を聞いて、おやっと思った人もいるかもしれない。西田氏はNECグリーンロケッツでスクラムハーフとして活躍した元ラガーマンである。
その経歴は華やかだ。
東福岡高で全国準優勝に輝くと、立教大学に進学。立教大では主将を務め、同校から初のトップリーグ選手となった。NECグリーンロケッツでは10年に渡ってプレー。日本代表にはなれなかったが、強豪チームの主力として存在感を放った。そして2016年3月に「10年で一つの節目だと思っていた」と、ラグビーブームの到来を尻目に、心置きなく現役を退いている。