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現地番記者が暴露する“銀河系レアル”崩壊の真相… ベッカム加入も停滞、フィーゴが批判した「最低の監督」とは
text by
カルメン・コリーノ(ディアリオ・アス紙)Carmen Colino(Diario AS)
photograph byTakuya Sugiyama
posted2021/03/01 17:02
世界、とりわけ日本で大ブームを起こしたベッカムのレアル・マドリー移籍。しかし彼の加入は、第1期ペレス会長政権終焉の始まりだった
たった6戦で辞任した監督の名は……
ケイロスの後任にはホセ・アントニオ・カマーチョを選んだ。元マドリーの人気選手であり、スペイン代表監督時代にもファンから愛されていた彼は、ソシオに行ったアンケート調査で一番人気を集めていたからだ。
しかし、カマーチョの挑戦はあっという間に終わりを迎える。
リーガ3試合、チャンピオンズリーグ3試合で4勝2敗。就任6戦目を終えた9月20日、彼はあっさり辞任してしまった。当時は「チームは望んでいたパフォーマンスを発揮できていない。私が介入しても改善されない」としか説明しなかったが、後にいくつかのインタビューでもう少し具体的に言及している。
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「私から辞めたんだ。なぜかって? 強化プランが存在しなかったからさ。午後に練習したいと思っても、何かのイベントが入っていてできない。広告契約で言えば5つの国際企業を獲得したよ。あそこでできることは何もなかった。私は不要だと気付いたんだ」
カマーチョの辞任を受け、フロレンティーノはそれまで第2監督を務めていたマリアーノ・ガルシア・レモンを後任に据えた。彼は選手として、監督としてクラブをよく知る指導者だったが、その場しのぎの代役と考えていたフロレンティーノはすぐさま新監督探しに動きはじめた。
ルシェンブルゴが次期監督だと自ら認めた
2004年の暮、監督交代の情報はブラジルからもたらされた。マドリー行きのフライトに乗る直前に、新監督のバンデルレイ・ルシェンブルゴ本人が明かしてしまったのである。
奇しくもその便にはクリスマス休暇帰りのロナウドとロベルト・カルロスも乗り合わせており、誰よりも早く新監督の存在を知ってしまった。そのためクラブは監督交代を発表せざるを得なくなったのだ。
「新たな人物がやってきたようだ。クラブに考えがあるのなら、今すぐに変えるべきだろう。彼らは異なる方向に向かうことを望んでいる。フットボールに生きる人間として、受け入れるしかない」
こうしてガルシア・レモンの挑戦はわずか3カ月で幕を閉じた。