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柳沢敦はゲルト・ミュラーの「13」、黄金世代は出身校で決定? 鹿島・鈴木満FDが語る“伝統の背番号”秘話
posted2021/02/26 11:00
text by
池田博一Hirokazu Ikeda
photograph by
KASHIMA ANTLERS
今回は、鈴木満フットボールダイレクターにクラブ伝統の背番号に込めた思いを聞いた。
強化担当にとって、毎シーズンオフに休んでいる暇はない。むしろ最も神経をすり減らして仕事に取り組む時期とも言える。
「契約交渉があって、監督・コーチをはじめ選手の加入交渉はもちろん、退団や引退もあります。金銭面の交渉もあって、結構大変なんですよね。チーム始動の前に編成が決まると、毎年ホッとするんです。それから最後の仕事として、選手の背番号を決めていく。これは交渉が終わってホッとしたときの、なんか唯一の楽しみみたいなものになっています。背番号を決めていくっていうのは、“シーズンの始まり”という、スタートの作業なんです」
歴史が重みを生み出し、その重みが伝統につながる。
背番号一つをとっても、重みと深みが重なり合い、競争につながっている。
239人の背番号を決めてきた鈴木満
鹿島アントラーズの強化部門トップの鈴木満フットボールダイレクター(FD)は、これまで30年、加入の際はそれぞれの背番号を決めてきた。アントラーズに所属した選手は全239人。ただ単に新しく加入した選手に対して、空き番号を当てはめてきた訳ではない。
背番号の決め方については、クラブとして基本的な考え方がある。
「背番号を決定する上で、コンセプトが3つあります。1つ目は、ポジションに紐づいたもの。2つ目は、チームのレジェンド、あとは海外の偉大な選手がつけていた番号が所以となっているもの。3つ目が、選手個人の希望です。それぞれラッキー番号にしているとか、希望があった場合に受け入れることがあります。主にその3つのコンセプトのなかから、背番号を決めています。例えばヤナギ(柳沢敦)の13番はね、ゲルト・ミュラーのイメージなんです」
現代のJリーグにおいては、シーズン始めに背番号が決まり、選手は1シーズンを同じ番号で活動していく。この背番号の固定番号制は、1997年から始まった。
「1996シーズンまでは、スタメンの背番号が1番から11番と決まっていました。それもあって、最初に選手が着ける背番号について考えたのが1997シーズンでした。固定番号制になるということで、背番号をどうしようかと悩んだ最初の選手が、96年に加入した柳沢敦。96シーズンは変動番号制のなか、9番の黒崎久志、11番の長谷川祥之など、すでにレギュラー番号を持っている選手がいた。その一方、ヤナギは新人2年目でありながら、日本代表に入るような人気選手でした。そんな選手の背番号をどうしようか。初めて背番号について思いを持って考えた選手になりました」