スポーツ物見遊山BACK NUMBER
“アリを倒した男”レオン・スピンクス逝く…大仁田厚と金網デスマッチ、酒&薬物にも溺れた数奇な人生
text by
高木圭介Keisuke Takagi
photograph byAP/AFLO
posted2021/02/13 17:01
1978年2月15日、モハメド・アリに判定勝ちを収めてWBA、WBC統一世界ヘビー級王者を獲得したレオン・スピンクス
92年3月25日、後楽園ホール大会でターザン後藤の保持するWFDA世界マーシャルアーツヘビー級王座に挑戦したスピンクスは、2R2分59秒、右フックからのKO勝ちで王座奪取。そして5月24日の有明コロシアム大会にて、大仁田と同王座を賭けて「異種格闘技ノーロープ金網デスマッチ」で一騎打ち。11分24秒、卍固めに敗れて王座から転落している。
クライマックスたる大仁田戦を終えたならば、ここで「お役御免」とばかりにFMWのリングを離れるのが普通なのだが、話題作りの天才・大仁田はその後もスピンクスを招聘し続ける。93年8月シリーズでは、当時若手だった中川浩二やミスター雁之助、そして主力外国人選手だったサブゥーらと一騎打ちを体験。8月22日の西宮スタジアム大会ではキックボクサーの上田勝次(キック時代のリングネームは上田勉)と異種格闘技戦を行い、3R0分43秒、ミドルキック連打を浴びてKO負けを喫している。
テリー・ファンク戦では“レフェリーKO”
当時、東京スポーツの若手記者だった筆者は、8月26日の茨城・古河市立体育館大会にて実現したテリー・ファンクとの異種格闘技戦(3分10R)も取材している。仮にもプロレスとボクシングの元世界ヘビー級王者同士の一騎打ちだ。世が世なら大会場で実現すべき豪華カードにも関わらず、他のスポーツ紙は取材に来ていなかった記憶がある。
結果は場外にてレフェリーをKOしてしまったスピンクスの反則負け。目撃者が異常に少ない、この“大一番”を何とか記事にせんと、雑感記事を書いて送信したのだが、あえなくボツに……。翌日、東スポ紙上を飾ったFMW古河大会の記事は、当時、W★INGからFMW移籍が噂されていた松永光弘に対する大仁田のアンサーと、西宮大会から看護師姿に変身した中村理恵が「ナース中村(後にバッドナース中村)」に本格変身したとの記事だった。つまり、スピンクスの話題性は賞味期限が切れたということだろう。