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“アリを倒した男”レオン・スピンクス逝く…大仁田厚と金網デスマッチ、酒&薬物にも溺れた数奇な人生
text by
高木圭介Keisuke Takagi
photograph byAP/AFLO
posted2021/02/13 17:01
1978年2月15日、モハメド・アリに判定勝ちを収めてWBA、WBC統一世界ヘビー級王者を獲得したレオン・スピンクス
9月1日の札幌中島体育センター別館大会で、サンボ浅子を右フックでKOした異種格闘技戦を最後にスピンクスは帰国。その後はFMWマットにも登場していない。アントニオ猪木、大仁田厚、テリー・ファンクといえば、たとえどんな相手と対戦しようとも、独特の名勝負や話題を作り上げてしまうプロレスの達人だ。そんな三巨頭と一騎打ちを経験するも、後に語り継がれるほどの試合が残せていないということは、スピンクス自身にプロレスの適性が乏しかったという見方もできる。
しかし、アリを倒した男が時を経て、大仁田やミスター・ポーゴのみならず、ザ・シークやサブゥー、ドクター・ルーサーやアミーゴ・ウルトラ、ミスター珍やザ・グレート・サスケ、アジャ・コングや工藤めぐみら女子プロレス勢、リトル・フランキーや角掛留造ら小人プロレス勢と、同じリングに上がっていたとは、にわかに信じがたい話だが、これは紛れもない事実だ。
そんなスピンクスと、もう二度と会うこともないだろうな……なんて考えていたら、2年後にまったく予想だにしない場所にて再会することになる。
UFC取材で搭乗した小型機で隣に…
それは95年7月、テキサス州ダラスの空港だった。まだ「アルティメット大会」と呼ばれていた時代のUFCの第6回大会(ワイオミング州キャスパー)取材のため、ダラスの空港から約20人乗りの小型プロペラ機に乗り込んだら、なんと窓側の隣席に座っていたのがスピンクスだったのだ。
もちろん日本で数回会ったのみの筆者のことなど憶えているわけもない。狭いプロペラ機の中で、隣り合わせになったスピンクスは終始ニヤニヤと笑っているかと思ったら、突然、不機嫌に怒り出したり、時に口からヨダレを垂らしつつ、宙に向かってパンチを繰り出す……という非常に「ヤバい奴」と化していた。この男が突如、暴れ出したとしたら、もちろん誰も止められないだろう。
WBA世界王者時代、すでにコカイン所持で逮捕歴もあるスピンクスのことだ。飲酒による酩酊、薬物、そしてFMW参戦時に周囲から指摘されていたパンチドランカー症状と、すべてに当てはまる。
揺れの激しい小型プロペラ機の旅は、それだけでも怖い。だが、この時ばかりは「となりのスピンクス」の一挙手一投足に脅えつつ、二重の恐怖だった。キャスパーの空港に無事到着した瞬間は心底ホッとしたものだ。