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“アリを倒した男”レオン・スピンクス逝く…大仁田厚と金網デスマッチ、酒&薬物にも溺れた数奇な人生
posted2021/02/13 17:01
text by
高木圭介Keisuke Takagi
photograph by
AP/AFLO
プロボクシング界には5人の「アリを倒した男」が存在する。その中の1人であるレオン・スピンクス(元WBA、WBC統一世界ヘビー級王者)が2月5日、67歳で亡くなった。
スピンクスの死去により、ジョー・フレイジャー(2011年、67歳没)、ケン・ノートン(13年、70歳没)、トレバー・バッビック(06年、52歳没)とすでに3名が亡くなっているため、モハメド・アリを倒した生存者はラリー・ホームズ(現在71歳)のみとなった。
アリ本人も、アントニオ猪木との格闘技世界一決定戦(1976年6月26日、日本武道館)が有名だが、「アリを倒した男」も5人中、2人(スピンクスとバービック)がプロレスビジネスに関わっている。
バービックは高田延彦との一戦(91年12月22日、UWFインターナショナルの両国国技館大会)のみに終わったが、スピンクスの場合はアントニオ猪木との異種格闘技戦(86年10月9日、新日本プロレスの両国国技館大会)のみならず、92年から93年にかけて大仁田厚率いるFMWに参戦し、大仁田との異種格闘技戦以外に、地方巡業でのタッグマッチなどにも継続参戦するという異色のプロレスビジネスとの関わりを持った。
大仁田厚率いるFMWの準レギュラー
今となっては多くの人が忘れている事実だが、大仁田を「涙のカリスマ」として時代の寵児に引き上げ、電流爆破デスマッチをはじめ、数々のアイデアでインディ団体(そもそも正式な統一機構など存在しないプロレス業界は全団体がインディペンデントなのだが……)の雄となったFMWとは、「フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング」の略称。もともとはプロレス団体ではなく「プロ格闘技団体」として発進している。
そんな中、超大物スピンクスのFMW参戦は、ボクシングファンや関係者に忸怩たる思いを抱かせていたはずだが、大仁田は「そんなことお構いなし」とばかりに、「おもちゃ箱を引っ繰り返したような団体」の矜持として、その筋の超大物・スピンクスをFMWの準レギュラー選手として使い続けた。
スピンクスの実績ならば、当時大人気だった格闘技志向の強いUWF系団体へ参戦するほうが、ごく自然な流れだったはずだが、大仁田FMWは団体名にも忠実に、なぜか大物スピンクス招聘に成功してしまうのだった。