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【命日】野村克也が最も悔やんだ試合 シダックス時代の“野間口続投”「あの時、馬鹿なことを思わなければ…」
text by
高木遊Yu Takagi
photograph bySankei Shimbun
posted2021/02/11 11:03
シダックスで3年間、指揮を執った野村克也。言葉をかけられた選手たちの多くはその後、指導者への道を歩んでいる
「この試合の記憶がほとんど無いんですよ。でも、とにかく伊藤(祐樹)さんにたくさん投げさせられたのはすごく覚えているんですよね」(野間口)
伊藤は、日産自動車から補強選手として三菱ふそう川崎に加わり、1番打者を任されていた。都市対抗では予選同地区の敗退チームから選手をレンタルできる制度で当時は最大5人(2010年以降は3人)まで補強が可能で、三菱ふそう川崎は当時激戦区だった神奈川の敗退チームから計4人の補強選手を迎え入れていた。
野間口の記憶では伊藤の印象が強いが、伊藤を含む技ありの補強選手3人、所属選手でも桑元・西郷泰之・梶山義彦(現三菱自動車岡崎コーチ)と五輪経験者が3人揃っていた打線の多くの打者が粘りに粘り、野間口を徐々に追い詰めていた。5回までに113球を要し、野間口のキャップはテレビ画面でも分かるほど汗が滲んでいた。「前半は球数を投げさせて後半勝負」と垣野監督が前夜に選手たちに伝えていた通りの展開になっていたのだ。
5回表を終えてベンチに戻った野間口に、シダックスの選手兼任の投手コーチだった萩原康は「まだ行けるか?」と尋ねた。野間口は体力を削られていたが、2回戦以降チームに迷惑をかけていた自責と、野村の期待に応えたい思いで「行けます」と迷いなく答えた。
訪れた“運命の7回”
続く6回表、野間口はこの日初めてとなる三者凡退に抑えた。だが「この三者凡退で諦めがつかないことになってしまった」と野間口が振り返るように、7回に試合の形勢が一気に変わった。
先頭打者こそセカンドゴロに打ち取るも、9番の佐々木勉に二塁打を打たれると、直後から野間口の制球が乱れ始める。1番・伊藤に死球を与えると、連続四球で1点を返される。ベンチにいたコーチや志太は不安そうに野村へ視線を向けるが、野村は動かず続投を決断した。
その時、野村の目にネット裏にいた日本野球連盟会長(当時)山本英一郎の姿が飛び込んできたという。
「ついこないだまでプロにいた人間がいきなり勝つなんてとんでもない。そんな顔に見えたんですよ」(野村)
山本が実際にそう感じていたかは定かではなく、野村がエピソードに厚みを持たせているだけかもしれない。だが、プロ野球とは違い、「負けたら明日はない」という一発勝負の社会人野球の頂点を決める戦いで、野村の中に迷いや邪念が入り込んでいたのは確かだった。
その思いが伝播したのか、野間口は4番西郷に同点となる2点タイムリーを打たれ、さすがに野村も重い腰を上げてピッチャー交代を宣言した。結果論かもしれないが、プロで百戦錬磨の野村からすれば、後手を踏んだとも言える継投だった。