令和の野球探訪BACK NUMBER
【命日】野村克也が最も悔やんだ試合 シダックス時代の“野間口続投”「あの時、馬鹿なことを思わなければ…」
text by
高木遊Yu Takagi
photograph bySankei Shimbun
posted2021/02/11 11:03
シダックスで3年間、指揮を執った野村克也。言葉をかけられた選手たちの多くはその後、指導者への道を歩んでいる
野村はシダックス野球部のOB会に出席するたびにこの試合のエピソードを後悔として話していた。
「志太さんには悪いことをしました。山本会長の顔を見て “優勝していいのか”なんて……そんなバカなことを考える監督がいますかね。監督の迷いは選手に無言で伝わっていくんです。大きな教訓となりました」
野間口は「思い出に残る試合を聞かれたら、この試合になりますね。戻れるならあの瞬間に戻りたいです」と話し、「もし戻れたらどうしますか?」と尋ねると「5回に萩原さんに聞かれた時点で交代しますと言います」ときっぱり答える。「内心無理だと思っていたけれどプライドを優先してしまいました。もう少し社会人野球の凄さを分かっていれば……若さゆえの勢いでしたかね」
立正大の監督として2018年秋に大学日本一に導いた坂田も「あの試合が今に生きている部分は当然あります。やはり監督にとって投手の替え時は永遠のテーマ。野村さんでさえあの時、迷われたわけですから」と話す。
一方、勝利した桑元にとっても、あの一戦は今も記憶に鮮明に残っている。
「試合後半の戦い方ですとか、チームとして攻略していけば好投手にでも勝てるということを証明した試合でした。今でもあの試合は頭をよぎることがあります」
現役引退後に務めた神奈川・武相高校の監督時や現在の東京農業大コーチとしての指導にも大いに役立っているという。
野村は05年までシダックスの指揮を執り、06年からNPB参入2年目の東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任。09年の2位躍進などその後の活躍は誰もが知る通りだ。
今回の記事でも分かるように、この試合に携わった選手たちの多くが現在は指導者として後進の育成にあたっている。
野村は「シダックスで良い思い出を作らせてもらって幸せでした。指導者となっている方が多くて嬉しい限りです。野球界のために尽力してもらいたいと思います」と死去直前まで語っていた。その思いは今もなお野球界で生き続けている。
そして、あの試合で当事者たちがまざまざと感じた勝負の綾や厳しさも、「野村イズム」の継承者たちや「アマチュア野球のプライド」を胸に挑んで打ち勝った者たちによって、後世に受け継がれていくのだろう。