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【箱根駅伝】20年前“10区逆転”を許した駒大OBは創価大・小野寺をどう見た? 「つらいのが当たり前、でも…」
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph byL:Sankei Shimbun R:Yuki Suenaga
posted2021/02/02 17:02
駒大OBの高橋桂逸は、今年10区で逆転を許した創価大の小野寺勇樹と20年前の自分の姿を重ね合わせた
不安を拭えぬまま、翌年ついに憧れの箱根駅伝に
その1年後、2年生になった高橋さんは力を付け、今度は10区にエントリーされた。前回1区3位と好走し初優勝の立役者になった島村が故障で箱根に間に合わなかったという事情もあったが、ついに憧れの舞台に立つ権利を手にした。
ところが、レースまで1週間を切ってから、高橋さんは体調を崩した。腹を下し、寝込んだ日が1日あり、万全な状態で本番を迎えることができなかった。
「あの年は、コマが揃っていなくて、たぶん10番目が僕だったんです。大八木さん(当時コーチ)も、年末ギリギリまで決めかねていたと思うんです。僕にタスキが渡るまでに勝負を決めて、最後はなんとか逃げ切ろうという作戦でしたね」
最後まで不安は拭えなかったが、高橋さんは2001年の第77回大会を走ることになった。
3区間連続区間賞、トップで襷を受け取った
当時は、駒大と順天堂大が二強。前回覇者の駒大の連覇か、出雲、全日本を制した順大が大学駅伝三冠を成し遂げるか、そのライバル対決は“紫紺対決”などと呼ばれ注目を集めていた。
先行逃げ切りを狙っていた駒大だったが、3区までは順大にリードしていたものの、4区で逆転を許すと、往路を4位で折り返した。往路1位の中大には2分24秒、ライバルの順大には2分16秒の差を付けられていた。高橋さんまでに大きな貯金を作るプランだったが、早くも黄信号が点っていた。
「往路のことはあまりよく覚えていないんですけど、4区を走った松村があまり良くなかったので、松村から“頼む”と言われたような記憶はあります。あとは、自分がいかに走るかということだけを考えていました」
復路では、6区を終えた時点で、順大との差が3分8秒にまで広がっていた。
ところが、7区から駒大の快進撃が始まる。7区、8区、9区と3区間連続区間賞で、9区ではついに順大をとらえて先頭に躍り出た。
「8区でだいぶ差を詰めていたのは、なんとなくテレビで見ていました。9区の高橋(正仁)さんが抜きそうだというのも聞いていましたが、あとは自分がしっかり走ることに集中しようと思っていました」