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【箱根駅伝】20年前“10区逆転”を許した駒大OBは創価大・小野寺をどう見た? 「つらいのが当たり前、でも…」
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph byL:Sankei Shimbun R:Yuki Suenaga
posted2021/02/02 17:02
駒大OBの高橋桂逸は、今年10区で逆転を許した創価大の小野寺勇樹と20年前の自分の姿を重ね合わせた
大八木「追い付かれてから、付いていけ」
順大のアンカーは4年生の宮崎展仁で、これが3回目の10区だった。2年前には区間賞の走りで優勝のゴールテープを切っており、10区を知り尽くしている実力者だ。
高橋さんは、その宮崎よりも17秒先に鶴見中継所をスタートした。大八木が「10区に渡るまでに2分は欲しかった」と後に振り返ったように大差があったわけではなかったが、ともかく先頭で襷を受け取った高橋さんは走りだした。
しかし、3.4km。六郷橋の下りにさしかかったところで、早くも高橋さんは追いつかれてしまう。
「早い段階で追いつかれるのは予想通りだったんですけど、予想以上に自分の体が動いていなかった。調子が悪かっただけでなく、浮き足だって、最初の1kmが速かったんですね」
大八木コーチからは“追い付かれてから、付いていけ”という指示を受けており、しばらくは宮崎の後ろに付いて走っていた。だが、京急蒲田の踏切を越えた6km過ぎに置いていかれた。これで勝負は決した。
「やっちまったなあ、やっちまったなあ」
今であれば大八木の檄が飛んでくるところだが、当時は1校に1台の運営管理車があったわけではなく、各校の監督、コーチは複数人ずつバスに同乗していた。蒲田から大手町までの17kmは、沿道の声援こそあったが完全に一人旅になった。
「カメラ車がいたかどうかも記憶にないんですけど、前も後ろも離れていたので、本当にぽつんと一人で走っていました。“やっちまったなあ、やっちまったなあ”と、頭の中はそればっかりでしたね。自分の脚が動いていなかったので、後ろの中大に追い付かれるかもしれないという恐怖とも戦いながら走っていました」
結局、高橋さんが大手町に辿り着いたのは、順大の歓喜の瞬間からは約3分後のことだった。