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【箱根駅伝】20年前“10区逆転”を許した駒大OBは創価大・小野寺をどう見た? 「つらいのが当たり前、でも…」

posted2021/02/02 17:02

 
【箱根駅伝】20年前“10区逆転”を許した駒大OBは創価大・小野寺をどう見た? 「つらいのが当たり前、でも…」<Number Web> photograph by L:Sankei Shimbun R:Yuki Suenaga

駒大OBの高橋桂逸は、今年10区で逆転を許した創価大の小野寺勇樹と20年前の自分の姿を重ね合わせた

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和田悟志

和田悟志Satoshi Wada

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L:Sankei Shimbun R:Yuki Suenaga

 今年の箱根駅伝は、最終盤に劇的な展開が待ち受けていた。

 4区5.6kmから143km超に渡って先頭をひた走ってきた創価大が、残りわずか2.1kmでついにトップを明け渡したのだ。最終区での首位交代は、97回の箱根駅伝の歴史で9例目だった。

『最終10区での最後の首位交代は20年前。順天堂大学が駒澤大学を抜いて優勝したのが最後……』

 テレビでは、そんな実況で逆転劇が伝えられた。

「“俺だ”って思いましたね。(母校・駒大が)逆転したことよりも、“また言われちゃったな”という思いのほうが強かったです(笑)」

 20年前に駒大のアンカーを務めた高橋桂逸さんは、今年の箱根駅伝を家族と見ていた。20年前の逆転劇の当事者が高橋さんだったことを家族はもちろん知っており、そんなアナウンサーの実況に思わず苦笑していたという。

初優勝を喜ばなければいけないのに

 高橋さんは進学校の長野高校出身。高校時代に5000m14分27秒1の好記録を持ち、3000m障害でも活躍しており、いくつかの大学から勧誘を受けていた。しかし、高橋さんは一般受験で駒大に進学する道を選んだ。

「その当時、一番勢いがあったのが駒澤でした。やるんだったら一番強いチームでやりたい、という思いがあったので、駒澤に入りました」

 高橋さんが駒大に入学したのは、1999年のこと。当時の駒大はまだ箱根駅伝での優勝はなかったが、その前年度は2年連続の総合2位に入っていた。藤田敦史、佐藤裕之の二枚看板とは入れ違いだったが、高橋さんの同期には松下龍治、布施知進、島村清孝、松村拓希といった力のある面々がおり、初優勝への機運が高まっていた。

 そして、実際に、高橋さんの1年時に駒大は初優勝を果たした。ちなみに、当時キャプテンを務めていたのが、現・國學院大監督の前田康弘氏だ。今年の箱根駅伝で駒大の大八木弘明監督は3人のルーキーを起用したが、実は初優勝時にも3人の1年生が走っていた。しかし、そのメンバーに高橋さんの名前はなかった。

「箱根を走った同期に“負けない”という気持ちで走っていたので、メンバーになれなかったことは、すごく悔しかったです。本当は優勝を喜ばなきゃいけないんだと思うんですけど」

 歓喜の瞬間、高橋さんは寮に一人残って電話番をしていた。チームの快挙も、高橋さんには悔しい思い出として残った。

【次ページ】 不安を拭えぬまま、翌年ついに憧れの箱根駅伝に

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