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J屈指の“戦術オタクなドリブラー”田中達也「感謝しかない」 熊本、大分時代の恩師から得た“サッカーIQ”
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byGetty Images
posted2021/01/29 11:02
2020シーズン、大分所属時には浦和相手に真っ向から勝負した田中達也。赤きユニフォームで埼スタを湧かせられるか
――浦和の11番を背負うチャンスが目の前にあって、希望しないわけがないと。
「そういう気持ちでしたね。新加入会見で『TATSUYA』と入っている11番のユニフォームを見て、すごく嬉しくなりました。11番に決まったとき、達也さんに連絡したんです。『注目して見ているし、新しい田中達也像を作ってくれ』と言われたので、すごく励みになりますし、頑張ろうと思いました」
――"新しい田中達也像"とは、どんなイメージですか?
「僕は達也さんみたいなストライカーではないですけど、サイドからドリブルやスピードを生かしてチャンスを作ることが得意ですし、去年は点を決められるようにもなった。中でも外でもプレーして、ゴールとアシストの両方を積み重ねていけるような選手になりたいと思います」
大卒3年目まで結果を残せなかったけど
――東福岡高、九州産業大を経てJ2のロアッソ熊本、FC岐阜、J1のガンバ大阪、大分トリニータ、そして憧れの浦和レッズと、ステップアップしてきました。思い描いたようなキャリアを歩んでこられていますか?
「いや、苦しんできたという思いのほうが強いですね。そもそも大卒って2年で結果を残せないと難しいと言われるじゃないですか。僕は3年目まで結果を残せず、4年目になってようやく、という感じだった。ただ、学ぶ意欲だけは自分の長所だと思っていて。熊本時代は渋谷さんやキタジさんから、大分時代はカタさん、(岩瀬)健さん(元大分コーチ)、安さん(安田好隆コーチ)からいろいろ吸収できたのが本当に良かったです」
――田中選手の生まれた92年は 「プラチナ世代」と言われていて、柴崎岳選手、宇佐美貴史選手、大島僚太選手、遠藤航選手といった顔ぶれがいます。苦しみながら、同じステージに近づいてきましたが、同年代のことは意識しますか?
「同年代を意識することはないですね。僕が若い頃、彼らと同じように代表に入っていて、切磋琢磨していたなら意識するかもしれないですけど。この年齢になると、同年代を意識するとかじゃなく、チーム内のポジション争いで負けたくないとか、試合でマッチアップする相手に勝ってチームの勝利に貢献したい、という感じですね。誰かに負けたくないというより、全員に負けたくないですね」