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名波浩が明かす前田遼一“変身”の歴史 アテネ五輪バックアップメンバー選出に「俺、行かないっす」 

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北條聡

北條聡Satoshi Hojo

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photograph byKim Jang Hun/AFLO

posted2021/01/20 11:00

名波浩が明かす前田遼一“変身”の歴史 アテネ五輪バックアップメンバー選出に「俺、行かないっす」<Number Web> photograph by Kim Jang Hun/AFLO

現役引退を発表した前田遼一。名波は当時を懐かしそうに振り返った(写真は2004年)

 プロ5年目の2004年。アテネ五輪最終メンバーからの落選である。名波は当時のことを鮮明に覚えているという。

「バスで移動中にコーチから落選の報を聞かされた。周りからいじられ、本人もおどけていたけど、バックアップメンバーに選ばれた話を聞いた瞬間、顔色が変わって……。間髪を入れず『俺、行かないっす』と。あいつの意地とプライドを強烈に感じたね」

 事実、この件を境にゴールラッシュが始まることになる。翌05年のJ1で自身初の2ケタ得点をマーク。中山、高原の跡目を継ぐ3代目に名乗りを上げ、あらゆる形からネットを射抜く頼もしい決め手となった。

 そして、06年にイビチャ・オシム監督の率いる日本代表に初選出された。これを機に「もうひと皮むけた」と名波が言う。

「岡崎慎司をはじめ、ライバルたちとは違う独自のストライカー像を追い求めたと思う。自分の何を武器として磨けばいいのかと」

オシム、ザックも惚れ込んだ特殊技能

 183cm。足元の技術に加えて、サイズにも恵まれていた。そこで体幹を含むフィジカルを鍛え、守備側の懐に潜り込み、味方の遊撃を手引きする『トロイの木馬』として鮮やかに立ち回る。果たして、ポストマンの値打ちをよく知るオシムから、その仕事ぶりを高く評価されるに至った。

 いや、オシムだけではない。10年秋から代表の指揮を執ったザックことアルベルト・ザッケローニ監督も特殊技能に惚れ込んでいる。本田圭佑、香川真司ら2列目にひしめく若いタレント群の強みを最大限に引き出すためのキーパーソンでもあった。

 しかも空陸自在。もっぱら地上戦における仕掛けが目についた若い頃とは違い、空中戦でも危険な存在へと変貌を遂げる。制空権を握り、頭でもゴールを量産。クロスへの入り方から守備者の視野から逃れる動きに至るまで長足の進歩を遂げた――とは名波の弁だ。

 なお、FC東京に在籍していた2016年の湘南ベルマーレ戦でヘッドによる通算得点を45に伸ばし、中山の持つJ1記録を更新した。

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