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レジェンドOB中山雅史が磐田コーチ就任 「2人に負けないために…」意外過ぎる“ガムシャラプレー”誕生秘話
posted2021/01/21 11:01
text by
望月文夫Fumio Mochizuki
photograph by
KYODO
この男は、周囲を驚かすのが好きなのかもしれない。
日本サッカー界のスーパーレジェンド、元日本代表FWのゴンこと中山雅史が、今季から古巣のJ2磐田でトップチームのコーチに就任した。シーズン始動を直後に控えた1月半ばの、突然の発表だった。
テレビのサッカー解説などでもお馴染みの中山だが、J3の沼津に所属し、自宅のある東京から静岡県沼津市でのチーム練習にも参加する現役のJリーガーでもあった。50歳を過ぎても選手契約を更新する姿は、これまでも周囲を驚かせてきたが、突然のコーチ就任も衝撃だった。
コーチ就任も「引退するわけではない」
中山は静岡の名門藤枝東高から筑波大に進み、卒業後の1990年に日本リーグ(JSL)1部のヤマハ発動機(現ジュビロ磐田)に入社した。今回のコーチ就任は、サッカー国内トップリーグでのスタートから30年を経て、ついに現役に区切りをつけるのかとも思われたが、そこには中山流の注釈が用意されていた。
「いろいろと経験させてもらったし、喜怒哀楽を表現させてもらった30年だったけど、選手を引退するわけではない。周囲の皆さんがその2文字を使うのは構わないけど、自分としては『ひとまず休みにしてコーチをやってくる』ということ」
コーチ就任を発表した日、レギュラー出演するテレビのニュース番組に生出演した中山は、こんなコメントを残した。そして番組内で改めて「引退ではないのか?」と問われると、さらにこう続けた。
「別の目線で(外から自分を)見たら、自分だってそう思うと思う。だけど、そこに抗(あらが)いたい。受け入れたくはない。もちろん、これからはコーチとして全力を投じるが、(現役選手として)まだ何かあるかもしれないと思っている。女々しいんですよ(笑)」
引退するわけではないことを改めて強調した中山が古巣に戻るのは、2009年にチームを離れて以来12年ぶりのことである。
ドーハの悲劇からジュビロ黄金時代へ
レジェンドのコーチ就任を聞き、長年取材をしてきたベテラン記者は「何をやっても派手だね。それはスター性がある証拠だと思う。とにかく記憶に残っていることが多過ぎる」とつぶやいたが、その全盛期は日本サッカー界の中心で輝きを放っていた。
日本中が中山を知ることになったのは、1993年10月の“ドーハの悲劇”で幕を閉じたアメリカW杯のアジア最終予選だろう。