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佐藤寿人「今だけ良くてもダメ」、曽ケ端準「ミスをしたときこそ…」Jを去る男たちが悩み、考えていたこと 

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posted2021/01/18 17:00

佐藤寿人「今だけ良くてもダメ」、曽ケ端準「ミスをしたときこそ…」Jを去る男たちが悩み、考えていたこと<Number Web> photograph by J.LEAGUE

2012年、リーグ初優勝を決めたセレッソ大阪戦でもゴールを奪った佐藤寿人

<名言2>
若手に言いたいことを言わせてもらっている分、僕も自分にプレッシャーをかけてます。
(岩下敬輔/NumberWeb 2020年12月4日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/846100

 
 スマートなルックスとは裏腹に、激しすぎるプレーで物議を醸すこともあった岩下。しかし、選手たちやサポーターからは「兄貴」として愛されたキャラクターだった。

 岩下がガンバ大阪に期限付き移籍で加わっていた2012年、チームは初のJ2降格の憂き目を見た。遠藤保仁ら仲間たちが涙に暮れたピッチに岩下の姿はなく、累積警告による出場停止でチームの力になれなかったのだ。
 
 降格直後は「代表復帰のためにもJ1でやりたい」と公言したものの、実際は翌年も「完全移籍」という形でチームに残った。
 
「『残留への力になってほしい』と言われておきながら、力になる権利さえなく、降格の瞬間もピッチに立てていなかったことに、サッカー選手として悔いが残っていました」
 
 当時は在籍わずか4カ月だったが、義理堅い岩下らしい決断だった。

岩下がピッチで見せたもの

 遠藤や明神智和ら背中で引っ張るタイプが多かったチームにおいて、岩下の喜怒哀楽は後輩たちにとって新鮮に映ったのだろう。時に罵声を浴びせながら鼓舞することもあったというが、自陣のゴールでは体を張って鬼神のごとく立ちはだかった。だから、4年間在籍したガンバでは宇佐美貴史、大森晃太郎など年下の選手に慕われた。

 お世辞にもクリーンなCBだったとは言い難いプレーヤーだったが、そのファイティングスピリットは仲間たちに伝わっていた。

【次ページ】 “それでも聞くのがプロの仕事でしょう”

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