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「これ、かっこよくない?」20歳イチローがハワイの夜間練習で見せた“衝撃の振り子打法”
text by
石田雄太Yuta Ishida
photograph byJIJI PRESS
posted2021/01/11 11:00
振り子打法で打席に臨むオリックス時代のイチロー
プロ1年目、18歳の鈴木は7月11日、高卒ルーキーながら初の一軍昇格を告げられた。ところが彼は電話をくれた一軍マネージャーに、「一軍はまだ早すぎる、僕は二軍でいい」と申し出ている。もちろんそんな希望は叶うはずもなく、彼はしぶしぶ新幹線に乗り込んだ。似合うはずのないボタンつきのシャツにスラックス、革靴を履いて、セカンドバッグを持ち、新神戸から博多まで、グリーン車に乗った。プロ野球選手とはそういうものだと思っていたからだ。
一軍監督の指示に従わず「二軍行き」
高3の夏、愛知県大会で打率.643、ホームラン3本と結果を出した鈴木は、オリックスからドラフト4位で指名された。誰も即戦力だとは思っていなかったが、彼は1年目からファームで打ちまくった。開幕からの3カ月で.367というハイアベレージを記録し、一軍に呼ばれた。ジュニア・オールスターでは代打ホームランをライトスタンドヘ叩き込んで、賞金100万円を手にした。その年、鈴木はウエスタンで打率.366を記録、首位打者を獲得したのである。そのころ、イチローが発した一言に林は耳を疑った。
「ファームで首位打者を狙える位置にいたんで、『お前、すごいなあ』って話したことがあるんです。そうしたらイチローが、『4割、狙ってたんだけど』って……そりゃ、ビックリしましたよ。次元が違いましたよね。あの言葉はすごく衝撃的でした」
順風満帆だった18歳の鈴木。しかし2年目、19歳の鈴木は一軍と二軍を3回も往復することになる。そのときのことをイチローは以前、こう話していた。
「210本のヒットを打ったのは3年目、20歳のときですけど、僕としては1年目にファームでやって、2年目には一軍で3割を打つつもりでしたから(笑)、ずいぶん遠回りをしたという感覚がありますね」
そう、19歳の鈴木は遠回りを強いられたのだ。それは、当時の首脳陣との軋礫があったからだった。独特のバッティングフォームをオーソドックスなものに変えろという当時の一軍監督、コーチの指示に従わず、鈴木は二軍行きを命じられた。ちょうどその時期、鈴木は先輩に教えられたプロならではのカネの使い方や遊び方に、反発を覚えていた。憧れの世界に飛び込んで、初めて知った現実。その中には、鈴木の価値観にそぐわないものもあった。固まった先入観を改められないかつての名選手が指導者として幅を利かすプロ野球の世界に、2年目の鈴木は失望していた。その象徴が、ブランデーだったのかもしれない。
バットを振って「これ、かっこよくない?」
それでも鈴木は自分を見失うことがない。林は、ハワイでのこんなシーンを今でもはっきり覚えている。