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「エメリとは全くそりが合わなかった」欧州得点王インモービレが明かす“不遇のスペイン時代” 

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バレンティン・パウルッツィ

バレンティン・パウルッツィValentin Pauluzzi

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photograph byMarco Rosi/Fotonotizia

posted2021/01/06 17:00

「エメリとは全くそりが合わなかった」欧州得点王インモービレが明かす“不遇のスペイン時代”<Number Web> photograph by Marco Rosi/Fotonotizia

昨季のスーリエドール(=ゴールデンシュー。ヨーロッパ得点王)にはチロ・インモービレが輝いた

インモービレ この8月に僕は市役所にある賞を受け取りに行った。そのときに記者たちから、「サッカー好きの若者たちを支援するために、市長はどんなインフラを整備すればいいのか?」という質問を受け、僕はこう答えた。「子供はどこででもサッカーをする。僕らのころの環境は今よりずっと酷かった。でも、誰の助けもなしに、僕らはそこから脱出した。ロレンツォ・インシーニェやファビオ・クアリアレッラ、それに僕も……。みんなこの街の出身だ」と。

――あなたは家族のなかで一番のストライカーではないそうですが。

インモービレ そうなんだ(笑)。父が長くアマチュアでプレーしていた。帰省して父のかつてのチームメイトたちに出くわすたびに、父こそ本物の点取り屋だったと言われてからかわれるよ。以前はメルカートの時期に、地元の新聞に父の名前がよくあがっていた。カンパニア(ナポリのある州)のすべてのクラブが彼を欲しがっていたからね。仕事の後で彼は練習をしていた。僕も学校から帰ると、宿題を終わらせてから弟と練習をよく見に行ったよ。

――あなたの少年時代のセリエAはスター選手で溢れていました。あなたも見て育ったわけですが、誰がお気に入りでしたか?

インモービレ ユベントスで一時期一緒だったダビド・トレゼゲの名をあげたい。ペナルティエリア内の印象が彼は強烈だった。あんな選手は見たことがない。どんな種類のクロスでも、また身体のどの部分ででも得点できる技術を彼は持っていた。

 それから代表にはクリスティアン・ビエリがいたし、チャンピオンズリーグでのフィリッポ・インザーギや、2006年W杯のルカ・トーニやアルベルト・ジラルディーノ……。彼らを見ながら僕はサッカーを覚えた。素晴らしいストライカーはたくさんいる。

――彼らとあなたを比較するのは難しくはないですか。体格(185cm、80kg)が違いすぎますから。

インモービレ 僕は型にはまったタイプではない。ボックス内のセンターフォワードでもサテライトストライカーでもない。前線でトップに貼りつくよりも、幅広く動く方が好きだ。僕がよく比較されるのは、パオロ・ロッシやトト・スキラッチといったひと昔前のストライカーたちだ。

ユベントスでの3年間

――さきほどユベントスの名前が出ましたが、2009年にユーベからプロデビューしたにもかかわらず、ユーベと関連づけられることはほとんどありません。

インモービレ 彼らはたしか……トリノとの試合の後、まったく何のテストもせずに僕を獲得した。当時の僕はセリエC2(4部リーグに相当)のソレントのユースチーム所属で、U-16の全国リーグでプレーしていた。パレルモやナポリといった地域の強豪を抑えて、僕らは首位でグループリーグを終えた。プレーオフも勝ち進み、準決勝ではジェノアと対戦した。そんななかで注目を浴びたというわけだった。

【次ページ】 なぜイタリア人選手は国外で活躍しづらいのか?

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