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「エメリとは全くそりが合わなかった」欧州得点王インモービレが明かす“不遇のスペイン時代”
posted2021/01/06 17:00
text by
バレンティン・パウルッツィValentin Pauluzzi
photograph by
Marco Rosi/Fotonotizia
昨季のスーリエドール(=ゴールデンブーツ。ヨーロッパ得点王)にはチロ・インモービレが輝いた。セビージャからトリノを経て2016年にラツィオに移籍して以降、コンスタントに得点を重ねる(ラツィオではセリエAで113ゴール。1月5日現在)彼は、今やヨーロッパを代表するストライカーの1人となった。
そのインモービレを、ヴァレンティン・パウルッツィ記者が『フランス・フットボール』誌10月13日発売号でインタビューしている。ひとたびピッチを離れると、ピッチ内の奔放さからは想像もつかない慎み深さを見せるインモービレが大いに語った。劣悪な環境から這い上がり今日にまで至った半生と、自身のサッカー観や将来への展望……。前後編2回にわたってお届けする(全2回の1回目/#2に続く)。
(田村修一)
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「レバンドフスキに勝ったのは嬉しい」
――2010年以降、他の個人タイトル同様にスーリエドールも特定の2人がほぼ独占する状況が続いていました。そこにあなたが今年は割って入ったわけですが……。
インモービレ 受賞者リストを見ればそれは一目瞭然だ。リオネル・メッシとクリスティアーノ・ロナウドの時代が続き、唯一の例外がルイス・スアレス(2014、2016年)だった。僕の名前が彼ら2人とともに並ぶことが信じられない! バロンドールの表彰を行わない今年は、スーリエドールが持つ意味も例年に比べて大きい。もちろん両者は性質が異なり、かたやジャーナリストたちの投票で決まるのに対し、もう1つは純粋な記録の評価だ。ただ、今年のバロンドール候補No.1といわれたロベルト・レバンドフスキ(34得点)に勝ったのは嬉しい。
――スーリエドールが目標になったのはいつごろからですか?
インモービレ 子供のころから考えていた。ストライカーにとっては大きな意味のあるトロフィーだからね。2シーズン前も可能性があったけど怪我で脱落してしまった。今回は3月に(コロナ禍で)リーグが中断したときにトップであるのはわかっていたけれども、その後どうなるかはまったく予測できなかった。再開後もそれまでと同じペースで得点できるのか? ラツィオは同じサッカーの質を維持できるか? どちらも杞憂に終わってよかったよ!
イタリアの“危険な地区”で育った子供時代
――あなたはナポリ近郊のトッレ・アンヌンツィアータの出身です。マフィアを描いたテレビ番組《ゴモラ》が人気を博して以降、イタリアのこの地区には多くの人たちがあるイメージを抱いています。あなたが子供時代を過ごした当時の現実をドラマは反映していますか?
インモービレ 僕が育ったのはドラマの舞台となった地区のすぐそばで、ドラマは僕の地区にも多くのネガティブなイメージを植えつけた。多くは現実だが、理解できるとはいえ誇張も多い。たしかにとても危険な場所で、簡単にトラブルに陥るし、厄介な問題を容易く抱え込んでしまうところだった。
――そんな危ない場所から抜け出すために、あなたはお金ができるや否や母親のために家を買いました。
インモービレ 港に面した地区に移り住んだ。彼女に感謝の気持ちを示したかったのはもちろんだが、僕や家族も彼女が夢見た家で暮らしかった。だから少し稼げるようになったときに、即座に実行したんだ。
――あなたの地区の子供は、他の地区の子供に比べ一歩先を行っていると述べていますがどうしてでしょうか?