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「エメリとは全くそりが合わなかった」欧州得点王インモービレが明かす“不遇のスペイン時代”
text by
バレンティン・パウルッツィValentin Pauluzzi
photograph byMarco Rosi/Fotonotizia
posted2021/01/06 17:00
昨季のスーリエドール(=ゴールデンシュー。ヨーロッパ得点王)にはチロ・インモービレが輝いた
ユベントスでの3年間は、その後のプロ生活のベースになった。潜在能力を具現化するには最高の環境だった。ソレントでは10チームがひとつのピッチを共用していたのに、ユーベではそれぞれのチームがひとつずつピッチを使えた。すべてがそんな感じだから、モチベーションも自然と上がる。僕はまずユースのチームメイトたちに追いつくことを目標にして、彼らを追い越してからは大人たちと同じプレーができるハズだと思うようになった。
――それでもほどなくユーベを離れ、ペスカーラでセリエB(2012年)、トリノでセリエA(2014年)と2度の得点王を獲得しました。
インモービレ タイトルを獲得する前のシーズンを忘れてはいない。セリエBのデビュー(2010年。当初はシエナ、シーズン途中にグロセトに移籍)は難しかったし、セリエAデビュー(2012年。ジェノア)もそうで、慣れるまでは大変だった。2度のタイトル獲得がきっかけとなって、注目度は大きく高まった。
なぜイタリア人選手は国外で活躍しづらいのか?
――2014年には国外に移籍しますが、ドルトムントとセビージャでの失意の18カ月は、時間を無駄にしたと感じていますか?
インモービレ ドイツについてはそうは思わない。もっとよくできたかも知れないが、ユルゲン・クロップの最後のシーズンで運が悪かったのも確かだった。チームの調子が上がらず、僕がそのツケを支払わされた。
スペインでは能力を発揮する機会が与えられなかった。僕が出場して然るべきときにもピッチに立てなかった。ウナイ・エメリとは全くそりが合わなくて……。
――あなたは国外での活躍が難しいイタリア人選手の典型のように見られていますが……。
インモービレ マルコ・ベッラッティはクラブへの貢献度と周囲の高い評価から、パリ・サンジェルマンの中心選手の地位を確立している。だが、彼はちょっと例外で、僕を含めた他のイタリア人の多くは、国外のクラブで多くの困難に直面している。ただ、それに関してはあまり語りたくない。たぶん適応能力に問題があって、イタリア人は他国の選手よりも多くの時間がかかるのだろうけど……。
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