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箱根駅伝中継の生みの親が忘れられない早大の“大ブレーキ” 「残酷だと言われればそうかもしれない」
text by
松山梢Kozue Matsuyama
photograph byJIJI PRESS
posted2021/01/02 06:04
91年箱根駅伝での大ブレーキで視聴者を釘付けにした早大・櫛部静二はその後、悔しさをバネに数々の記録を生んだ
今でも忘れられない早大・櫛部静二のブレーキ
そんな坂田さんが今でも忘れられないのは、91年の第67回、早稲田大学の2区を任された1年生、櫛部静二のブレーキだ。
「間違いなく視聴者を釘付けにするブレーキのシーンは、1回目の放送から撮りたかったんです。当然、僕は櫛部を映し続けるように指示しましたが、現場を仕切るディレクターが心配し、何度も僕の様子を窺ってきたのを覚えています。その後、櫛部くんがどう思っているか気になっていたんですが、『現代っ子だから大丈夫ですよ。今では宴会でネタにしてます』と知人から伝え聞いていたので安心していたんです。ところが、親しい人には『とっても嫌だった』と話していたという。残酷だと言われればそうかもしれないけれど、仲間に欅を渡そうともがき苦しんでいる姿は駅伝の醍醐味だし、視聴者は間違いなく感動したはず。一度櫛部くん本人と話してみたいですね」
日本テレビを退社した今も、毎年現地で観戦を続ける坂田さん。2024年には100回大会を迎える箱根をスケールアップさせるためのアイデアは尽きることがない。
「箱根駅伝は当初、金栗四三さんがアメリカ大陸横断レースを実施するための選考会として発案したもの。箱根で活躍した選抜メンバーでアメリカ横断をするなど、雄大でロマンあふれる金栗さんの思いを実現させてあげたいですね。もうひとつ実現させてほしいのは、各大学ごとに一台ずつ力メラで追いかけること。視聴者が見たい学校を常に見ていられるようになったら面白そうでしよ? 今の技術なら、きっと実現できると思いますよ」