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箱根駅伝前日にまさかの「ノロウイルス」…“7年前の悲劇”で走れなかった駒大主将「最近笑えるように…」
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph byKoomi Kim
posted2020/12/31 11:09
現在はコニカミノルタの品質本部で働く撹上。関係会社に対し品質管理のレクチャーなどを行っており、コロナ禍の前は海外に出張することもあったという。
「本当に申し訳なかったですね。こんな形で終わっちゃうんだって思いました。自分の身に起きたことだとは認めたくなかったです」
撹上は福島のいわき総合高出身。駒大では1年生の頃から駅伝やトラック種目で活躍してきた。ルーキーイヤーから箱根駅伝を走り、7区で区間4位と好走。2年生の時にはエース区間の2区を任され、区間10位。3年生の時は1区で区間3位と、チームにとって欠かせない戦力の一人だった。
迎えた最終学年、全日本大学駅伝で連覇を飾り、駒大は箱根の優勝候補本命とみられていた。
「テレビを見るのが辛かったです」
だが、このアクシデントでチームに動揺が走る。想定していた区間配置も変更せざるを得なかった。
当初の予定では撹上は当日変更で復路の7区に入るはずだったが、そこに本来は4区を走る予定の久我和弥(4年)を配置し、久我の配置変更で空いた4区には急きょ、3年生の湯地俊介が投入された。湯地は補欠登録をされていた選手だが、さすがに本番前夜に選手交代を告げられるとは想像もしていなかっただろう。
不安は的中し、往路ではこの4区がブレーキとなった。3区の中村匠吾(2年)から2位で襷を受け取ったが、湯地の足は思うように動かず、ズルズルと順位を落としてしまう。区間19位の走りで、4区を終えた時点で10位と、優勝争いからは脱落してしまった。
撹上は当時、どのような思いでこのレースを見ていたのだろう。
「湯地にも本当に申し訳ないことをしましたね。前夜に交代を告げられて、心構えもできていなかったでしょうし、苦しかったと思います。僕は寮とは別の隔離された部屋で、ひとりテレビで中継を見ていたんですけど、最初は見るのが辛かったです。自分が迷惑をかけて、チームが苦しんでいる。でも、みんなが頑張っている姿を見もしなかったら、それこそサイテーだなと思って。気持ちを届けられないにしても、せめてテレビで見て応援しようと必死に前を向きました」
涙をこらえきれなかったメール
前夜は病院からの移動や体調不良もあり、往路を走る選手に声をかけることもできなかった。だが、往路9位のレースを見終えた後、せめてもと思い、復路の選手には謝罪のメールを送った。復路を固めたのは4人の4年生と1人の3年生。返ってきたメールに撹上は涙をこらえきれなかった。