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マラドーナ発「戦術進化の革命史」 メッシら現代的10番とクロップ&グアルディオラの発想が生まれたワケ
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田邊雅之Masayuki Tanabe
photograph byAFLO
posted2020/12/28 11:00
![マラドーナ発「戦術進化の革命史」 メッシら現代的10番とクロップ&グアルディオラの発想が生まれたワケ<Number Web> photograph by AFLO](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/f/b/700/img_fb56cbfd26325fecda361e004f341e40154814.jpg)
マラドーナを止めに行くミランのバレージ。天才アタッカーがこの世に生を受けていなければ「10番」の進化も、果敢なプレスもなかったはずだ
時代の荒波に翻弄されたのは10番だった。理由は簡単。DFラインと中盤のラインにポッカリと空いていたスペースと時間を、誰よりも享受していたからである。ピッチ上の千両役者は攻撃で以前ほど存在感を発揮できなくなったばかりか、守備への貢献を拒もうものなら、お荷物扱いされるようになっていく。
この結果、ピッチ上での立ち位置と役回りには、かつてない変化が見られ始めた。
マラドーナが同じようなことをやっていた?
バルセロナのロナウジーニョは、ピッチの中央で構えるのではなく、サイドから切り込んでいくことでチャンスを演出するようになる。トッティはローマで10番と9番を兼務し、逆にバルセロナのメッシは9番で先発しても持ち場をすぐに離れ、10番をはじめとする様々な役割をこなし始めた。ダビド・シルバに至っては、マンチェスター・シティに移籍する頃には定位置さえ持たなくなっていた。
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勘のいい方は、おそらくピンときたに違いない。「マラドーナは同じようなことをすでにやっていたのではないか」と。それは至極正しい。ある意味、マラドーナは30年先、40年先のサッカーを先取りしていた選手だった。
一連の変化は10番の役割がチーム内で拡散し、共有されていく過程としても捉えられる。代わりに攻撃の組み立て役として注目されるようになったのは、ピルロやセスク、モドリッチのような新世代のボランチだった。
ストーミング、ポジショナルプレー、プレッシング
戦術進化の歴史を長々と論じたのには理由がある。サッキがマラドーナ対策として導入したプレッシングは、今日のゲーゲンプレスやストーミング、さらにはポジショナルプレーとも密接に結びついているからだ。
リバプールをストーミングで蘇らせたクロップは、サッキこそが真の「ゲームチェンジャー」だったと強調している。
「サッキは、僕たちが抱いていたサッカーの考え方を完璧に変えた。サッキが登場する前は『誰々をマークしろ』と言われるだけで終わりだった。優秀な選手を揃えたチームが順当に勝つケースもあまりに多かった。ピッチ上では1対1の勝負が展開されていたからさ。サッキの『組織』は、そんな状況を根本的に変えたんだ」
ペップがマンチェスター・シティで実践しているポジショナルプレーも、プレッシングと深い関係がある。両者を結びつけるのは、クライフのトータルフットボールだ。
そもそもサッキがプレッシングの着想を得たのは、クライフが所属していた1970年代のオランダ代表からだったし、バルサ由来の戦術は強烈なプレッシングや堅固な守備をかいくぐる手段として発展してきた側面もある。サッキ流のプレッシングは、鬼才ビエルサを介してもペップに影響を与えている。