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<ホークス記者が明かす>内川聖一「チャンスをもらえなかった」発言の真相 ヤクルト移籍の決め手は“恩人” 

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田尻耕太郎

田尻耕太郎Kotaro Tajiri

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photograph byJiji Press

posted2020/12/09 17:04

<ホークス記者が明かす>内川聖一「チャンスをもらえなかった」発言の真相 ヤクルト移籍の決め手は“恩人”<Number Web> photograph by Jiji Press

11月1日のラストゲーム後に今季限りでの退団を明言し、ファンの声援に応えた内川

 ずっと苦しかったに違いない。平静を保てない時もあったはずだ。だけど、シーズン中だって内川はいつも前を向いて、二軍のグラウンドで戦っていた。

「僕の中では2013年のWBCでダブルスチールを失敗した時の、その後の経験が大きいんだと思っています」

 内川にとって悪夢のような記憶だ。一つのプレーに日本中が悲鳴に包まれた。準決勝のプエルトリコ戦。日本は大苦戦を強いられたが、0対3で迎えた8回裏だ。1点を返して、なおも侍ジャパンの3番・内川もライト前にヒットを放った。

 二塁走者は井端弘和。そして一塁に内川。打席は4番打者の阿部慎之助だ。一発逆転の場面である。しかし、その2球目にあの「事件」は起きた。

「僕が、止めてしまった……」

 一塁走者の内川は猛然とスタート。だが、二塁走者の井端は止まったままだ。その異変に気づいた時にはもう遅かった。ただ茫然と立ち尽くすのみ。相手のタッチから逃げる余力も、気力も残っておらず、内川は二塁ベースの手前でタッチアウトになった。

「自分は第2回大会にも出ている。侍ジャパンがいかに結束してどんな気持ちで戦っているか、僕は知っているつもり。それを僕が、止めてしまった……」

 失意というよりも絶望の内川に、声を掛けたのが当時のホークスを率いていた秋山幸二監督だった。

「なあ、引きずったってしょうがねぇだろ。終わったことなんだから。次だよ、次」

 帰国してわずか3日後に、本拠地福岡でのオープン戦にスタメン出場。いきなりマルチ安打を決めて、地元ファンからのひと際温かい拍手に応えてみせた。

「あそこで試合に出してもらったから、よしもう一回頑張ろうってなれたと思うんです。だから今もそんな感じです。区切りをつけて、次に行こうという気持ちでいる。10年間、ホークスでお世話になって本当に感謝をしています。色んな賞ももらえたし、勝つチームでプレーするということを味わうこともできた。良い思いをさせてもらいました」

なぜスワローズを選んだのか

 そして、あの日「必要と思ってくれる球団が出てくるのを願ってます」と言った内川には、複数の球団が関心を示したというニュースがすぐに流れた。

 その中で選んだのがスワローズだった。

【次ページ】 首位打者の“恩人”

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