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<ホークス記者が明かす>内川聖一「チャンスをもらえなかった」発言の真相 ヤクルト移籍の決め手は“恩人”
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byJiji Press
posted2020/12/09 17:04
11月1日のラストゲーム後に今季限りでの退団を明言し、ファンの声援に応えた内川
特に決め手となったとされるのが、杉村繁一軍打撃コーチの存在だ。
横浜ベイスターズに入団して7年目のシーズンを終えたところで、杉村コーチが横浜にやってきて二人は出会った。
ドラフト1位で入団してレギュラーを掴みかけながら、結局掴めないということを繰り返しているうちに「野球がやめたくなった」ことがあった。そのオフに実家に帰って「やめる」と母親に打ち明けると、「いいんじゃない。アンタがやるべきことをやって、全部ダメだと思うなら帰ってくれば」と言われた。
やるべきことを全部……という言葉が内川の心に引っ掛かった。そのタイミングで杉村コーチから指導を受けて、「僕自身が今まで長所だと思ってたことをはっきりと短所だと言われた」という。
首位打者の“恩人”
「もともとポイントを前で打ちたくて、詰まるのは負けだという考え方だった。でも、それは一番脆い形だと言われました。カーンと打てる時はいいけど、それ以上前だと泳いでしまい、コンと当てるバッティングしかできない。しっかり体の内側まで持ってきて、力が伝わるところで打つ練習をした方が良いんじゃないか、と」
その言葉で、詰まって打つヒットが嫌だったのが、何とも思わなくなった。むしろ、詰まって打ってやろうと思うくらいになった。「詰まっても、内野の頭を越えればいいんです」
その2008年シーズンに内川は今も右打者最高打率として記録が残るシーズン.378で首位打者に輝き、プロ野球人生の転機とした。
いま、新たな道を進む内川の傍らに、また杉村コーチがいる。
そんな運命のルーレットがあるから、人生もプロ野球も面白い。
「僕はレギュラーとるのに8年もかかった選手です。入団してすぐに輝いた選手ならば、パッと華麗に散っていけばいいかもしれない。だけど、僕は長かった。だからこそ、長くユニフォームを着たい。もうこれ以上無理だ、やれることはないな、そこまで思った中でユニフォームを脱ぎたい」