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【謎の死】「ドイツを勝たせろ」のナチス高官を無視して撃破 “オーストリアの英雄”シンデラーを知っているか?

posted2020/12/08 17:00

 
【謎の死】「ドイツを勝たせろ」のナチス高官を無視して撃破 “オーストリアの英雄”シンデラーを知っているか?<Number Web> photograph by L’Équipe

「フットボールのモーツァルト」と謂われたオーストリア代表のマティアス・シンデラー

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ロベルト・ノタリアニ

ロベルト・ノタリアニRoberto Notarianni

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 本欄でもすでにカルロス・カセリーやジミー・ホーガンを紹介した『フランス・フットボール』誌の短期集中連載「エスプリ・リーブル(自由な精神)」。その最終回(同誌9月20日発売号)でロベルト・ノタリアニ記者が取り上げているのがマティアス・シンデラーである。

 読者の皆さんには馴染のない名前かもしれない。だがシンデラーこそ、《ブンダーチーム=驚異のチーム》といわれヨーロッパ最強と評された1930年代のオーストリア代表の中心選手であった。今日では想像もつかないだろうが、かつてオーストリアは欧州サッカーの頂点に君臨していた。ハーバート・チャップマン(アーセナルの伝説の監督。WMシステムの創始者)やビットリオ・ポッツォ(1934、38年W杯、36年ベルリン五輪優勝監督)と親交の深かったフーゴ・マイスル(オーストリア代表監督および協会会長)が、ジミー・ホーガンをコーチに招聘し急激な進歩を遂げたのだった。

 だが、《ブンダーチーム》は突如崩壊した。アドルフ・ヒトラーのナチスドイツによるオーストリア併合である。そのときシンデラーはどうしたのか。イングランド代表ですらヒトラーの前ではナチス式の敬礼をせざるを得なかったときに、ひとりの人間として彼はどんな行動をとったのか……。ノタリアニ記者はいう。

「1930年代のオーストリアサッカー界の天才でありカリスマ的なリーダーは、同時に最後までナチズムに抵抗した社会のシンボルでもあった」と。

 アスリートである限り社会的・政治的責任から中立でいられるという考え方が、いかにいびつで特殊であるかがノタリアニ記者の記述からよくわかる。

(田村修一)

最後までナチスに迎合しなかったサッカー選手

 1939年1月28日、ウィーン中央墓地であるツェントラルフリードホフに向けて長い行列ができていた。ある証言によれば、街頭を埋めただけの人々を除いても参列者の数は2万人を超えていたという。それはまるでウィーンが街をあげてマティアス・シンデラーの死を悼んでいるかのようだった。だが、《サッカーのモーツアルト》の異名をとったシンデラーへのウィーン市民の敬意と愛着は、葬儀に訪れた人々の数だけでは計り知れない。

 ヒトラーによりナチスドイツに併合されたウィーンは暗い時代を迎えており、友人たちから《シンディ》と呼ばれていたシンデラーはナチズムに決して迎合しようとはしなかったことから、彼を称賛する人々の多くは自宅に留まることを余儀なくされたのだった。当然ながら当局は、広くヨーロッパにその名をとどろかせた英雄の死を公式に悼むことはなかった。ただ、ナチの高官たちが、これ見よがしのプロパガンダのために墓地をうろつき回っていた。彼らといえども国民的なアイコンを無視することはできなかったのだった。

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マティアス・シンデラー

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