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【謎の死】「ドイツを勝たせろ」のナチス高官を無視して撃破 “オーストリアの英雄”シンデラーを知っているか?
text by
ロベルト・ノタリアニRoberto Notarianni
photograph byL’Équipe
posted2020/12/08 17:00
「フットボールのモーツァルト」と謂われたオーストリア代表のマティアス・シンデラー
ウィーンの人々にとってシンデラーはいちサッカー選手以上の存在だった。街のすべてが彼への愛情に溢れ、死によってそれはさらに増幅された。
葬儀の5日前、彼の遺体は恋人のイタリア人カミーラ・カスタニョラとともにアンナ通り3番地のアパートで発見された。救急隊員が駆けつけたとき、カミーラにはまだ息があったが、運ばれた病院で意識が戻らないまま息を引き取った。
事故死か、自殺か、それとも……
彼らにいったい何が起こったのか?
アパートの部屋にはガスが充満しており、死因はガス中毒と見られているが、身体中の一酸化炭素濃度は致死量に達しておらず不審な点が多い。部屋のストーブにも何ら異変はなかったと救急隊員は証言している。
だが、それ以上は分からず終いとなった。ゲシュタポの圧力により調査は打ち切られ、家庭内事故死が公式見解として残されたのだった。
それが多くの憶測を呼んだ。あるものは自殺説を唱えた。シンデラーに近しいもの――とりわけ最後の数日間の宿を提供したものたちはこの説を強く信奉した。別のものたちは他殺説を主張した。その1つが情死――カミーラには奔放な過去があったと言われている――であり、もう1つが《シンディ》をずっとマークし続け、死後にすべての調書をただちに破棄したゲシュタポによる計画殺人である。
ヒトラーの秘密警察は、オーストリアの象徴を秘密裏のうちに亡きものにしたかったのだろうか? 謎は今も解けないままである。
ヨーロッパ最強・オーストリア代表のエース
36歳の誕生日を2週間後に控えながら夭折したシンデラーは、20世紀前半のウィーン社会を代表する人物の1人だった。もちろんそれは何よりもまず彼のサッカー選手としての資質による。
華奢な体躯でありながら、彼はその名人芸ともいえる洗練されたプレーとテクニック、プレーの構築センスで見るものすべてを魅了した。自在にリズムを変えるオーケストラの指揮者であると同時にフィニッシャーでもあり、華麗なドリブルとフェイント、繊細なパスと左右両足から放たれる正確なシュートには誰もが驚きを禁じ得なかった。
ヘルタ・ウィーンのユースで育ち、1924年から引退した38年までをオーストリア・ウィーンで過ごした。また《ブンダーチーム》の呼称で30年代ヨーロッパ最強と評されたオーストリア代表でも大黒柱として活躍した。
だが、そうしたピッチ上のパフォーマンス以上に、ウィーンの民衆文化と知的エリートを結びつけたことがシンデラーの功績だった。