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エモやんが語る野村克也の男気に“最強ホークス”の原点あり「お前ら、江本に借りがあるだろ!」
text by
佐藤春佳Haruka Sato
posted2020/11/26 17:05
発起人の江本氏は、野村氏とバッテリーを組み4年連続2ケタ勝利。引退後はノムさんにとって気の置けない話し相手だった
「先にエース番号をつけておけ」
監督としての野村氏は、当時からよく野球を研究しており練習前のミーティングも多かった。一方で江本氏は「ID野球」に象徴される「理論家」としての指揮官より、「人情家」としての顔がより印象深いという。
登板26試合で0勝4敗だった東映を1年で後にして南海にトレード移籍した初日、野村監督からいきなり背番号「16」のユニフォームを手渡されると熱い言葉をかけられた。
「お前のムチャクチャなボールもオレが受ければ10勝以上できる。先にエース番号をつけておけ」
初先発した4月9日の阪急戦では、相手エースの山田久志を向こうに延長12回1/3を投げぬくも打線の援護に恵まれず押し出し死球で0-1と敗戦投手に。試合後、西宮から大阪まで帰るチームバスのなかで、野村監督がマイクを握り怒声を飛ばした。
「今日は江本が素晴らしいピッチングだった。打者は江本に借りができたな。次の時には必ず借りを返せ!」
次の先発マウンドは4月16日のロッテ戦。先に江本氏が点を取られると、ベンチ前には自然と円陣が出来た。
「お前ら、江本に借りがあるだろ!」
野村監督の声が反撃ののろしだった。江本氏は9回3失点でプロ初勝利。そこから、どんどん勝ち星を重ねて、最終的には野村監督から贈られた背番号と同じ「16勝」をあげた。
「あの時の野村監督の言葉には熱くなりました。初めてプロ野球選手になったんだ、という感動を覚えましたね。ノムさんはね、理論派の名将みたいに語られていますけれど、本当のところは人情家で、意気に感じて男気でやる、みたいなところがあった。俺らも、選手同士は仲が悪かったけど、ゲームになったら野村を助けてやらないと、男にしないといけない、という思いで一丸でやっていたよ」
47年の時を超えて、大阪の地に
「名将」と呼ばれる礎となった「南海ホークス・野村克也」の思い出を残すためのクラウドファンディングは、目標額を2000万円として来年1月11日まで募集する。2月14日には、なんばパークスでリニューアル記念のセレモニーイベントが実施される予定だ。
「スーパースターだったノムさんの現役時代を思い起こしてもらえればいいね。オールドファンだけでなく、これをきっかけに若い世代が南海を知るきっかけとなれば」と江本氏。野村監督のもと南海ホークスが最後にパ・リーグを制し日本シリーズに出場したのが1973年。それから47年の時を超えて、人情家だった青年指揮官の雄姿が大阪の地に蘇る。