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エモやんが語る野村克也の男気に“最強ホークス”の原点あり「お前ら、江本に借りがあるだろ!」
posted2020/11/26 17:05
text by
佐藤春佳Haruka Sato
今年2月に84歳でこの世を去った野村克也氏の南海時代の功績を残すためのプロジェクト「おかえり!ノムさん 大阪球場(なんばパークス)に。」が大反響だ。野村氏の写真や記念品を、かつての本拠地だった大阪球場跡地にある「南海ホークスメモリアルギャラリー」に“里帰り”させるという企画で、リニューアル費用を募るためのクラウドファンディングは、開始した11月11日から10日余りで1000万円を突破した。
球団とのトラブルで、写真すら飾られなかった
「今の野球ファンが知っているのは、ヤクルトや楽天などで監督を務めた“名将ノムラ”。それだけでなく、偉大な野球選手としての功績をもう一度、見直して欲しいんです」
発起人となった野球評論家の江本孟紀氏がその思いを明かす。野村氏がプレイング・マネージャーを務めていた南海時代にバッテリーを組み、南海最後のリーグ制覇(1973年)を牽引。引退後はともに評論家として毒舌トークで軽妙な掛け合いを披露するなど、師弟関係が続いていた。生前の野村氏はよく、「オレは南海時代、“三悪人”にえらい目にあわされた。今の若い選手なんてちょろいもん」と、いずれもやんちゃだった江本氏と江夏豊氏、門田博光氏の名前を挙げていたが、そのボヤきはシャイな野村氏が3人にいかに心を許していたか、という証でもあった。
1954年、テスト生として入団した野村氏は、「南海ホークス」のユニフォーム姿で8年連続の本塁打王、戦後初の三冠王獲得や通算2000安打、600号本塁打達成など輝かしい足跡を残した。77年に後の愛妻・沙知代さんをめぐる球団とのトラブルが元になり解任。以降は球団側との感情のもつれから、大阪球場の跡地に建設された総合商業施設、なんばパークス内の「南海ホークスメモリアルギャラリー」にも、記念品のみならず野村氏が映る一葉の写真すら飾られることはなかった。