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岩隈久志、メジャー1年目のキャンプで見せた涙の真相とは? 渡米後も寄り添った久保康生の助言  

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木崎英夫

木崎英夫Hideo Kizaki

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posted2020/11/24 17:02

岩隈久志、メジャー1年目のキャンプで見せた涙の真相とは? 渡米後も寄り添った久保康生の助言 <Number Web> photograph by Getty Images

2015年8月12日、ノーヒッターを達成した当時マリナーズの岩隈久志。MLB挑戦4年目、初完投が大偉業となった

涙するほど闘っていた不安とは?

 岩隈のメジャー1年目は中継ぎから始まっている。デビューは4月20日、本拠地でのホワイトソックス戦。開幕からベンチ入りする30チームの選手で最も遅い15試合目での出場となったが、不慣れな役割も登板ごとに安定感を増し、後半戦から先発ローテ入り。転向後は8勝4敗、防御率2.65の数字を残した。

 ではなぜ、首脳陣は岩隈をブルペンに配置したのか。繰り返された「徐々に慣れさせたかった」が腑に落ちず、明確な理由を求めた時にズレンシックGMが取材に応じたのは、8月終わりのことだった。

「実は、岩隈の右肩はシーズン頭から中4日で投げられる状態ではなかった。前年の楽天時代に痛めた部位は治ってはいたが、回旋筋やその周辺の筋力が我々の定める安全な値には届かなかった。本人は『大丈夫です』と言ったが、大事な右肩をその状態のままで先発をさせる冒険などできなかった。これが真相だ」

 直球の球速が130キロ後半から140キロ半ばへと戻るまで、岩隈はキャンプから投球練習と並行して右肩の強化トレーニングメニューをこなし、来るべき日を待ち続けていた。久保氏に見せたあの涙は、自力で這い上がろうとする強い意思の表れでもあったのだろう。

自宅に招いて説いた「人間性の大切さ」

 久保氏が大切にしたのは技術だけではなかった。1999年のドラフトで堀越高校からプロ入りした岩隈に、過度に熱くならず「平熱」で人間性の大切さを説いた。その場となったのが自宅だった。当時、藤井寺を本拠地としていた近鉄の二軍寮から3キロほどの距離にあり、岩隈と同期入団で後に巨人で活躍する高木康成(現・巨人一軍サブマネージャー)らも招かれ、若手にとって久保家はくつろぎと学びの場でもあった。久保氏が「ほほ笑ましい」と述懐する場面がある。

「大食漢が集まり、妻が行きつけのお肉屋さんに同業者と思われたほどでした。その中にあって岩隈はガッツリと食べる方ではなく、体も細かったですね。理由は知りませんが、シイタケが大の苦手でね。仲良しの高木に“丸投げ”するんです。これがおかしくてね」

 昨年に巨人入りした岩隈が奇しくも同じ球団で高木と再会したことに、久保氏は「ベテランになっても野球界で必要とされる人間になったことが嬉しいです」と感慨を込めた。

 余談だが、誠実な高木は球界でも有名でその律儀さから「リッチギー」の愛称で呼ばれている。これも久保氏の導きと無縁ではないだろう。付言すれば、近鉄時代に久保氏から指導を受け、レンジャーズでも守護神を務めた大塚晶文は久保氏の口癖だった「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を人生訓の1つにしている。

シアトルで繋がった不思議な縁

 過日、久しぶりに電話で談笑した久保氏からこんなエピソードが飛び出した。久保氏は岩隈が入団する前年に羽曳野市に自宅を建てているが、その際、良質な木材の産地として知られるシアトルから資材と家具を船便で取り寄せている。当時、現地でインテリアのコーディネートを担当した女性は偶然にも、後にシアトル近郊に自宅を構えた岩隈家を担当することになる。「そりゃ驚きましたよ! 奇遇です。彼とは不思議な縁も感じますよ」と久保氏は笑った。

【次ページ】 送った助言で思い出すものは?

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