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岩隈久志、メジャー1年目のキャンプで見せた涙の真相とは? 渡米後も寄り添った久保康生の助言  

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木崎英夫

木崎英夫Hideo Kizaki

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posted2020/11/24 17:02

岩隈久志、メジャー1年目のキャンプで見せた涙の真相とは? 渡米後も寄り添った久保康生の助言 <Number Web> photograph by Getty Images

2015年8月12日、ノーヒッターを達成した当時マリナーズの岩隈久志。MLB挑戦4年目、初完投が大偉業となった

2年目の春、一軍昇格を拒んだ久保氏

 2000年秋に行われた「黒潮リーグ」の初戦で、久保氏は新人の岩隈を先発させた。現役を終え、投手コーチとして3年目を迎えていた久保氏は、不可視な勝負魂を養う方策を模索していた。

「重圧のかかる試合にことごとく岩隈をぶつけました。『登板の第一球目を真ん中低めに投げられるか』の賭けをしては、ほとんど私が負けました。こんな感じでテストしていきました。投手にはここぞという場面が必ず訪れます。マウンド度胸を養うのも(一軍への)準備です。それには遊び心が効果的であることを岩隈が実証してくれました」

 岩隈がプロ2年目の春を終えた頃に、久保氏は梨田昌孝一軍監督から岩隈の昇格を求める連絡を受けるようになるが、「心・技に自信を持って送り出したい」と拒んだ。そして5月終わりに待望の一軍デビューを果たした岩隈を追うように、久保氏は翌2002年に一軍投手コーチに就任する。その2年後、岩隈は最多勝利(15勝2敗)と最優秀投手のタイトルを獲得し日本球界を代表する右腕に成長した。

メジャー1年目のキャンプで見た光景

 近鉄の二軍時代から楽天に移籍する2004年まで最前線で岩隈を支え続けた久保氏は、渡米後も右腕の寄る辺となっていた。

 2012年、メジャー1年目のキャンプだった。岩隈はキャッチボールを始める直前で、手にしたボールを真上から思いきり地面に叩きつけた。怒気すら漂うそのシーンに面を食らったが、これは「悪くなり出すと腕が横振りになって、直球のラインが(打者に向け)上から下へと出なくなり、その軌道からのフォークは落ちなくなるとただの遅いボールになってしまう」との久保氏の注意喚起に基づくものだった。

 そのキャンプで忘れられない光景を目にしたのは、開始から9日目の2月20日のこと。数か月を充電に充てていた久保氏はピオリア(アリゾナ州)に姿を見せると、打者相手の投球練習で初登板を終えた岩隈にそっと近寄り声をかけた。予期せぬ恩師の訪問に目を潤ませた岩隈は、その頃、人知れぬ不安と闘っていた——。

【次ページ】 涙するほど闘っていた不安とは?

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