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【初の投手2冠】ソフトバンク石川柊太が語る中日・吉見への恩義と「ももクロ」ライブで考えたこと
posted2020/11/14 11:01
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph by
KYODO
11月6日、ナゴヤドームの客席に、ホークスの千賀滉大と石川柊太が並んで座っていた。中日黄金期のエースだった吉見一起の現役ラスト登板を見届けに駆けつけたのだ。
2人とも中日ドラゴンズのレプリカユニフォームを着用。吉見がマウンドに向かう際には、来場者に配られた「19」のボードを掲げて熱い眼差しを送った。
ホークスはこの前日まで千葉のZOZOマリンスタジアムで試合を行っていて、この日は移動日。しかもシーズン中には珍しい投手練習もない完全休養日だった。
「あの日があったから今の僕がある」
以下、石川の弁だ。
「最初に『行こう』と言い出したのは千賀の方でしたけど、僕としてもこの日程を見れば行かない理由などなかった。吉見さんとは(福岡の)八女で自主トレをした時に一緒にやらせてもらった。
あの日があったから今の僕がある。夜中に『30分間ずっとシャドー(ピッチング)しとけよ』って言われて、言われるがまま実際にやったのが懐かしいです(笑)」
本当に懐かしい。石川の言う「あの日」のことを書いたコラムがある。
『中日・吉見が「うちならエース」。SB石川柊太を激変させた6日間。』のタイトルで、この連載「野球のぼせもん」に寄稿したのが2017年1月だった。
当時のコラムの冒頭部分を引用する。
<ホークスの石川柊太は最速153キロを誇る。
彼の目標はずっと千賀滉大だった。一見すれば、チームメートで同じタイプの本格派右腕だ。
石川が千賀に心惹かれた理由は他にもある。同じ育成枠出身だ。1つ年下でチームの後輩になるが、その立場から今年3月開幕のWBCの侍ジャパン選手にまで成り上がった投手に憧れて、いつかは同じ道を進みたいと考えるのはじつに自然な流れである。