JリーグPRESSBACK NUMBER
【引退発表】中村憲剛、川崎FをJ1の強豪クラブに押し上げた男 背番号「14」に隠された秘話
text by
中西哲生+戸塚啓Tetsuo Nakanishi + Kei Totsuka
photograph byKamaya Hirofumi
posted2020/11/02 12:00
11月1日、今季限りでの引退を発表した中村憲剛選手
ただ、タイトルにはなかなか恵まれなかった。リーグ戦なら2位、カップ戦なら準優勝が続いて、フロンターレは“シルバーコレクター”と呼ばれたりもしました。チームのシンボルでもある中村選手は、誰よりも悔しさを噛み締めたに違いない。歯痒さに身を震わせたことでしょう。
それだけに、2017年以降のタイトルラッシュは僕も嬉しかった。2017年、2018年とJ1リーグを連覇し、2019年はルヴァンカップも獲った。個人的にも2016年にJリーグMVPに選ばれた。フロンターレの選手では初めてのことでした。
「川崎フロンターレ」というチームがJ1の強豪と位置づけられるようになったのは、中村選手がいたからなのです。
「哲生さん、ちょっといいですか?」
個人的に忘れられない出来事があります。
2003年のシーズン後だったと記憶していますが、クラブハウスで中村選手に会うと、「哲生さん、ちょっといいですか?」と声をかけられました。いつもより切羽詰まったような感じだったので、どうしたのかなと思うと、「来シーズンから背番号14を着けていいですか?」と聞かれたのです。
プロデビューとなった2003年に彼のプレーを見て、「日本代表に選ばれる可能性を秘めている」と思いました。僕自身にとっても魅力的な選手が、かつて自分が着けていた番号を背負う。これ以上ない名誉です。「もちろん、ぜひ着けてほしい」と、こちらからお願いをしました。
僕に断る必要などないことなのに、直接会って伝えることを選ぶ。中村憲剛とはそういう人間なのです。いつでも謙虚で、思いやりを忘れない。Jリーガーとして実績を残したわけでもない僕にまで、「哲生さんは初めてJ1に昇格したときのキャプテンで、サポーターがミスター・フロンターレと言っていますから」と敬意を示してくれたのでした。
背番号14を着けてプレーする彼を観るのは、至高のひと時でした。フロンターレが僕にとって特別なチームになったのは、立ち上げ当初から選手として関わったことも大きいですが、何よりもかつての自分と同じ「14」を背負う中村選手が眩しいきらめきを放ってくれたからです。彼が18年の長きにわたってフロンターレのために戦ってくれたから、僕は現役当時と変わらずにスタジアムへ足を運び、応援し、フロンターレへの思いをずっと育んできたのと思うのです。