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ブラジル版“消えた天才” ロビーニョ、パト、ガンソ 世界一になれず伸び悩んだ男の今 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byKaoru Watanabe(JMPA)/Naoki Ogura(JMPA)

posted2020/10/21 11:01

ブラジル版“消えた天才” ロビーニョ、パト、ガンソ 世界一になれず伸び悩んだ男の今<Number Web> photograph by Kaoru Watanabe(JMPA)/Naoki Ogura(JMPA)

全盛期だった頃のロビーニョやアレシャンドレ・パト。世界一の選手になれなかった男たちは今……

ペレ以来の天才と噂された若き日

 ロビーニョは、サントス郊外の貧しい家庭に生まれた。フットサルで技術を磨き、12歳でサントスの下部組織へ。圧倒的なスピードと驚異的なテクニックを生かしたドリブルでマーカーを翻弄し、クラブ関係者の間で「ペレ以来の天才」と噂された。

 評判を聞いて練習場へやってきたペレが、「これまで“ペレ二世”と呼ばれた少年は何人もいたが、彼は本物だ。プレースタイルから風貌まで、私の若い頃にそっくり」とお墨付きを与えた。

 2002年、18歳でトップチームへ昇格すると、たちまちレギュラーに。翌年にはブラジル代表に招集された。

 ブラジル中の少年の憧れとなり、後にやはりサントスで頭角を現わしたネイマール(現パリ・サンジェルマン)も「子供時代の憧れはロビーニョだった」と繰り返し語っている。

マドリーの10番を背負うもその後は

 2005年、21歳のときに当時としては破格の移籍金2400万ユーロ(約30億円)でレアル・マドリーに迎え入れられ、背番号10を与えられた。

 しかし、「白い巨人」では調子の波が大きく、監督との軋轢もあって、主力にはなれなかった。3年後、マンチェスター・シティへ移籍したが、ここでも素行上の問題などから力を出し切れない。ブラジル代表でも2006年と2010年のワールドカップ(W杯)に出場したが、顕著な活躍はできなかった。

 2010年以降は、ACミランを経て中国、ブラジル、トルコなどのクラブを渡り歩く。今年8月にトルコのクラブを退団し、母国へ戻ってきたところだった。

 すでに36歳。ピッチ外のトラブルがあまりにも多く、選手として大成できなかったばかりか、現在、極めて厳しい状況に置かれている。

 「いずれ世界一の選手に」と期待され、自らもその夢を目指しながら実現できなかったブラジル人選手は、ロビーニョだけではない。

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