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「二軍で終わるんじゃねぇ」阪神戦力外→独立リーグ→ヤクルト、歳内宏明を支える“恩師との電話” 

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田口元義

田口元義Genki Taguchi

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posted2020/09/29 11:30

「二軍で終わるんじゃねぇ」阪神戦力外→独立リーグ→ヤクルト、歳内宏明を支える“恩師との電話”<Number Web> photograph by KYODO

9月16日のDeNA戦で、1603日ぶりに一軍のマウンドを踏んだヤクルト歳内宏明

 忙殺や煩雑、辟易する日常に身を置きながらも、歳内は震災について多くを語らなかった。それは、監督である斎藤が、チームに訴えてきたこんな言葉を、自分なりに解釈していたからだった。

「お前たちは『夢や希望を与える』なんて薄っぺらい言葉を発するんじゃない。野球で自分たちの気持ちを伝えてくれればいい」

 兵庫県出身で、2歳になる1995年に阪神・淡路大震災も経験している歳内は、当時の心情をこう述懐していた。

「高校生が『被災した人たちの想いを背負う』と思うこと自体、おこがましいというか。練習とかでモチベーションにすることはいいんでしょうけど、試合でそれを持ち出すのは違うというか、ズルいなって。チームには実家が被災した選手もいたし、人それぞれ考え方があって何が正しいかを判断するのは難しかったですけど、僕はそう思っていました」

聖光学院初のプロ野球選手

 11年の夏に甲子園出場を決めた聖光学院は、好投手・歳内の存在も相まって「優勝候補」に挙げられるほど期待を寄せられていたが、2回戦の金沢戦で敗れた。

「チームを勝たせられず申し訳ないです」

 大きな敗因に守備の乱れがあったものの、言い訳ひとつせず大粒の涙を流す歳内に、斎藤は心のなかで唸ったという。

「こいつは達観できた。野球で福島の、東北の想いを背負ってくれていた」

 そしてこの年、歳内はドラフトで阪神から2位指名を受けた。それは、聖光学院にとって初めてのプロ野球選手誕生という快挙だった。

 本来ならば選手を特別扱いすることを嫌う斎藤ではあるが、歳内については「特別だと言わざるを得ない」と認め、短い言葉で自分たちの関係性を表した。

「俺と歳内の間に絆が生まれた」

プロ野球人生の「第2章」

 歳内が聖光学院を巣立ち、プロ野球選手となって8年が過ぎた。

 平坦というより、山あり谷あり。苦難続きながらも、今年、歳内はその右腕でプロ野球人生の「第2章」を切り拓いた。

 ヤクルトでの初登板となった9月9日の二軍戦で6回無失点と好投し、最初のチャンスを掴んだ。一軍初マウンドの16日のDeNA戦でも、勝ち星こそつかなかったが5回2失点と粘った。ところが、聖光学院の1学年後輩である岡野祐一郎との投げ合いとなった23日の中日戦では、3回途中5失点でノックアウトされ初黒星を喫した。

 一軍で2試合に登板し0勝1敗、防御率8.59(9月28日現在)。成績は芳しくない。それでも「エースになるつもりで投げろ」と壮大な道を示した斎藤は、教え子の歩みを信じるように、言葉に愛情を乗せる。

「どん底から這い上がってきたんだから、ひと花咲かせないと男が廃る。一軍で通用するピッチャーになるために全てを出し切って、ふてぶてしいくらいの姿でマウンドに君臨してもらいたいね」

 まだ「ヤクルトの歳内」は、力を出し切ってはいない。

 幸不幸に捕らわれることなく新たな道を邁進し、鮮やかな再起を遂げる――。

 そのとき、彼はきっと「未だ、木鶏たり得ず」と言わんばかりに成熟を見据え、恩師との絆をより深めるはずである。

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