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Jを沸かせた“岡山劇場”の岡山一成は今何を? スペイン人女性監督からの指摘と絆、指導者のリアル 

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飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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posted2020/09/16 17:00

Jを沸かせた“岡山劇場”の岡山一成は今何を? スペイン人女性監督からの指摘と絆、指導者のリアル<Number Web> photograph by Atsushi Iio

現役を引退し、指導者への道を歩み始めた岡山一成。その道は1年ほどなのに波乱万丈である。

「ああ、俺は日本代表にはなれそうもない」

 23年前の夏、テスト生から横浜マリノスとの契約を勝ち取ったとき、岡山の夢は日本代表になることだった。

「日本代表の試合になると、テレビの前で釘付けになって。いつか自分もこの場所で、って思いながら、応援していましたね」

 その夢は期限付き移籍で大宮に行ったときも、C大阪、川崎に移籍したときも抱き続けていた。

 しかし、そこまでだった。

「やっぱり気づくんですよ。ああ、俺は日本代表にはなれそうもないなって。それがフロンターレ時代。それでもどうにかチームに貢献できないものかと考えて、試合後に“岡山劇場”をやるようになった。ただ、ちょっとの差でもあったんです」

 横浜時代、チームメイトで日本代表だった井原正巳、城彰二、松田直樹、中村俊輔と自身との間には、歴然とした実力差が存在した。どう頑張ったとしてもその差は埋められそうになかった。

古巣フロンターレの初優勝を見届けて

 一方、川崎のチームメイトで、数年後に日本代表に選ばれることになる我那覇和樹、中村憲剛、寺田周平、箕輪義信とは、そこまで大きな差を感じたわけではなかった。

「あの頃もっと頑張って、彼らに付いて行ったら、自分のキャリアも違うものになっていたかもしれない。そんなことを思ったりもしたけれど、フロンターレも彼らもどんどん遠い存在になっていって。あの日、等々力で見たフロンターレはもう、自分の知ってるフロンターレとはまったく違った。ものすごいチームになっていた」

 '17年シーズンのJ1最終節、5シーズンを過ごした奈良クラブを数日前に退団したばかりの岡山は、等々力陸上競技場に駆けつけた。そして、スタンドのサポーターに混じり、古巣が初優勝する瞬間を見届けたのである。

 その瞬間、自分の中で止まっていた時計の針が再び動き出すのを感じた。

「フロンターレを去るとき、『必ず等々力に帰ってきて対戦する』って約束したんです。でも、一度も帰れんかった。それがずっと心残りやったんですけど、フロンターレが優勝した瞬間、そうか、選手としてでなくても、対戦相手の監督やコーチとして戻ってくればいいんやって。新しい夢が見つかったんです。指導者っていう」

【次ページ】 「ライセンスを取らんと始まらない」

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