フランス・フットボール通信BACK NUMBER
スポーツ選手は政治とどう関わるべき?
チリの、あるサッカー選手の英雄的人生。
posted2020/08/30 18:00
text by
ロベルト・ノタリアニRoberto Notarianni
photograph by
L'Equipe
『フランス・フットボール』誌は、6月16日発売号から「自由な精神」というタイトルの10回にわたる連載を始めている。「政治的・哲学的な理念やクラブ、祖国への愛などから人生の転機を迫られ、ときに死の危険にすらさらされながら、信念を貫き通した人たち」を、ロベルト・ノタリアニ記者が博識と資料を駆使して綴る企画である。その第1回を飾っているのがカルロス・カセリーである。
カルロス・カセリー。
『ダイヤモンドサッカー』世代には懐かしい名前ではないだろうか。1974年西ドイツワールドカップのグループ1初戦の西ドイツ対チリ戦。パウル・ブライトナーのミドルシュートで開催国西ドイツがチリを下した試合で、ベルティ・フォクツへのファールで大会退場第1号となったチリのフォワードがカセリーだった。
ただ、人目をひくちょっと小太りで口ひげを蓄えた独特の風貌とは裏腹に、続く東ドイツ戦を出場停止で欠場したこともあってか、カセリーのプレーの印象は薄い。彼がチリサッカー史上最高のストライカーのひとりであったことは、日本ではほとんど知られていない(国際Aマッチ29得点/49試合はチリサッカー史上5位、またコロコロ・サンチャゴでの208得点/368試合はクラブ史上1位)。そして当時チリで1973年のクーデター以降長期にわたり軍事独裁政権を敷いたアウグスト・ピノチェト将軍に抵抗し続け、信念を貫き通す民衆の英雄であり続けたことはさらに知られていない。
ノタリアニ記者が描き出すのは、そんなカセリーの人間としての真実である。
監修:田村修一
監禁・拷問された母親と一緒に選挙宣伝活動。
1970~80年代に活躍したチリのスターは、独裁者ピノチェト将軍に反発しながら政治的信念を貫き通したのだった。
ある古いビデオ映像で確認することができる、彼の昔の印象は、とても地味なイメージである――。
その荒い画質の動画の中では……純白のシャツをまといポニーテールに髪を引き詰めた60代と思われる女性が、居間の片隅に座っている。彼女の視線はカメラに向けられている。おもむろに語りだす彼女の政治的な言葉は、そのひとつひとつが聞くものの胸を突き刺す。
威厳に満ちた佇まいのその女性オルガ・ガリードは、15年以上にわたり続いた苦痛の日々――監禁され拷問を受けた肉体的・精神的苦痛――を、このときまで近親者にすら語ったことはなかったという。そうして話している最中に突然、彼女の顔色が輝き出す。気づくと別の人物が彼女の傍らに立っている。
名前と経歴がスクリーンに映し出されるが、それを見たチリ人にとっては、それこそまったく余計なことだった。チリで彼の名前と顔を知らぬものなどいないからだ。
その人物こそはカルロス・カセリー。
コロコロ・サンチャゴの伝説の大スターである。