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十種競技・右代啓祐は毎年、変わる。
「百獣の王」武井壮の“教え”とは? 

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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posted2020/08/01 20:00

十種競技・右代啓祐は毎年、変わる。「百獣の王」武井壮の“教え”とは?<Number Web> photograph by AFLO

「東京陸上選手権」の競技初日に、砲丸投げで14m98の好記録を出した右代。取り組んできた新たな技術の習得に手応えは十分だ。

武井コーチ「お前、陸上だけやってても強くならねえぞ」

 当時の十種競技の日本記録は1993年に金子宗弘が出した7995点のまま。15年以上もの間、記録は止まっていた。

 そこで始まったのが日本陸連の「8000点プロジェクト」だ。日本人初の大台超え選手を育成すべく、日本陸連が'09年に強化合宿を敢行。そこにコーチとして招聘されたのが武井氏だった。 

 ある日、右代は武井コーチから「お前、陸上だけやってても強くならねえぞ」と言われ、その一言が耳から離れなくなった。

 武井コーチは体操のマット運動など、陸上以外の競技の練習をしたり、映像を見ながら力の方向を勉強する時間を設けたり、右代がそれまでなじみのなかったメニューを数多く採り入れていた。

右代はその後めきめきと成績を上げていった。

「武井さんの言葉は凄く響きました。それまでの僕は、練習をたくさんやって、体を疲れさせて、寝て、食べての繰り返しをすることで強くなると思っていました。とにかく練習をやった者勝ちだという考えでした。

 でも、武井さんの考えはそうじゃない。いろいろなことを採り入れて、目標に向かって100%正しい練習を見つけながらやる。武井さんと出会って、考えが変わりました。武井さんとは師弟関係。最も尊敬する人の1人です」

 考えを根本から覆されたことによって、右代はその後めきめきと成績を上げていった。

 '11年に8073点の日本新記録を出して、日本人初となる8000点超えを達成すると、'12年には日本選手として初めて、五輪参加標準記録を突破してロンドン五輪に出場した。(※1964年東京五輪には開催国枠で鈴木章介が出場) 

 その後の2年間は記録が停滞したが、'14年に専門トレーナーから体幹に関する理論のレクチャーを受けると、「あ、これだという閃くものがあって」(右代)、状況を打開することができた。

 すると、'14年4月に8143点を出して3年ぶりに日本記録を更新。その2カ月後の6月には8308点を出して自身の記録を塗り替えた。これが現在の日本記録である。

【次ページ】 「今は、記録が上がるか上がらないかの狭間にいる」

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