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東京五輪に向け、引退か手術か──。
ハンドボール宮崎大輔、39歳の決断。
text by
奥村佑史(テレビ東京)Yuji Okumura
photograph byNewspix24/AFLO
posted2020/07/30 08:00
4大会連続で五輪日本代表に選ばれたレジェンドも、去年1月の世界選手権を最後に代表から遠ざかっている。
肩にはサポーターを巻き、無精髭を伸ばしていた。
代表復帰へのアピールの場として、16年ぶりに出場した去年秋の大学選手権は、痛み止めの注射を打ちプレーしていたが、今年に入るとその“騙し”も限界を迎えていた。
手術から3週間後、退院日を迎えた宮崎を番組(『SPORTSウォッチャー』)の取材でインタビューした。
肩にはサポーターを巻き、無精髭を伸ばし、久しぶりに外の空気を吸い生き生きした表情で現れた。
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入院生活は大学の課題レポートをこなしたり、YouTubeで動画を見漁っていたという。だが、そんな中でもハンドボールが頭から離れないのが宮崎。
「途中で何かしなきゃってなるんです。だから夜な夜な病院の階段を登り降りして、ハンドのことを想像しながら1日2000段。何もしないっていうのができなくて」
五輪の延期がなければ「そのまま引退会見」。
手術を決心させたのは、東京五輪の延期だった。
「実際、手術をしようか迷ってはいたんです。ここ最近自分が思ったプレーが出来ないのが嫌で、これは手術した方が早いなって。まだ間に合うと思った」
そしてこのコロナ禍で、自らの進退を考えていたことも明かす。
「もし五輪が延期されてなかったら、そのまま引退会見を開いていたと思う。ただ、もう一度自分をクリアにしてやってみようと思うことができた」
一度は頭をよぎった「引退」の2文字――。1年という時間は多くのベテラン選手同様、宮崎にとっても険しい道のりに違いない。それでも「手術」という道を選び、自らの未来を変えようとしていた。
手術を担当した医師が「30年の歴史を感じた」というほど極限状態だった右肩。腱板断裂、関節周りの炎症など当初2カ所の予定から最終的には計8カ所、4時間半に及ぶ大手術になった。