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東京五輪に向け、引退か手術か──。
ハンドボール宮崎大輔、39歳の決断。
posted2020/07/30 08:00
text by
奥村佑史(テレビ東京)Yuji Okumura
photograph by
Newspix24/AFLO
ハンドボールの第一人者、宮崎大輔が競技人生最大の賭けに出た。
「6月12日に右肩の手術をしました。まだ五輪を諦めていないので、完全な肩に治したいと思います」
復帰までの見込みは半年以上。五輪本番を見据えれば、あと1年というタイミング。
そんな時期に下したのはあまりにも思い切った決断だった。
今なおハンドボール界の顔と言えるレジェンドは、今年で39歳。1年後に延期になった東京五輪とどう向き合っているのか。
東京五輪に向け、日体大に再入学。
宮崎は小学校3年でハンドボールを始め、地元大分の高校を卒業後、日本体育大学に進学。その後実業団の名門・大崎電気に入団すると、スペインリーグにも挑戦した。
2003年のアテネ大会予選から4大会連続でオリンピック日本代表に選ばれた。競技生活30年目となった去年3月、宮崎は15年間所属した大崎電気を退団した。
「東京五輪に向けて、もう一度基礎から体を作り直したい」と37歳にして、一度は中退していた日本体育大学に再入学したのだ。
日体大は大学ハンドボール界屈指の名門で、宮崎も「実業団時代と比べると2倍」と嘆くほど、練習量の多さにも定評がある。朝練はもちろん夏合宿にも参加し、20歳ほど離れた学生たちの中で東京五輪のメンバー入りを目指していた。
だが、事実上の「五輪メンバー」と目された今年3月の代表合宿に入ることはできなかった。そして去年1月の世界選手権を最後に、1年以上も代表には呼ばれていない。
若手の台頭という現状もさることながら、大学に戻った彼を悩ませていたのが右肩の痛みだった。
長年の酷使と、実業団では使用されていない滑り止めの「両面テープ」がその原因だった。
代表や実業団では通常「松ヤニ」を使用するが、大学の公式戦では認められていない。粘着性が高い両面テープでの練習は、宮崎の肩に大きな負担をかけていた。