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悪の王者EVILの相棒、ディック東郷。
ナマハゲからゲバラまでの“謎の50歳”。
posted2020/07/24 20:00
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
白い星のついたベレー帽をかぶった男は50歳だ。8月には51歳になる。ディック東郷――筆者が秋田県出身のこのレスラーを最初に見たのは、1991年6月のことだった。
出身地の「ナマハゲ」のいで立ちでリングに上がった男が印象的だった。
巌鉄魁(がんてつ・さきがけ)
これが東郷のプロレスラーとしての最初のリングネームだった。デビュー戦の相手はザ・グレート・サスケ以前の、素顔のMASAみちのくだった。
東郷がそれからいくつのリングネームを名乗ったかは定かではない。本名の佐藤茂樹から取った「SATO」、キューバの王様「レイ・クバーノ」、革命を意味する「レボルシオン」などなど。マスクマンにもなれば、カリブの海賊にもなった。
「キリストとは正反対。武器はなんでも使って戦う」
東郷はあのチェ・ゲバラに憧れていた。憧れというよりはその生き方とか人生観に心酔していた。
ゲバラはアルゼンチン生まれの革命家で、フィデル・カストロとのキューバ革命で世界に名を馳せた。医者であり、作家であり、ゲリラであり、政治家であり、写真家でもあった。
「理想」を求め「世界を変えるために」グアテマラで始まったその革命で、ゲバラは敗北を味わったが、メキシコでカストロと出会った。キューバ革命後にカストロに別れを告げた後も、アフリカに乗り込むことになる。
1967年、39歳の時、南米のボリビアで銃殺された。
銃弾を浴び、さらに銃口を向けられても「撃て!」と最期まで格好良かったと伝えられている。その格好良すぎる生きざまに世界中のサッカー場では今でもゲバラの大きな旗が振られ、定番のTシャツは根強い人気を保っている。
「私はキリストではないし、慈善事業家でもない。キリストとは正反対だ。正しいと信じるもののために、手に入る武器はなんでも使って戦う。自分が十字架に磔になるよりも、敵を倒そうと思う」
ゲバラの言葉は印象的なものが多い。