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<オリンピック4位という人生(12)>
北京五輪 女子卓球・福岡春菜

posted2020/07/05 09:00

 
<オリンピック4位という人生(12)>北京五輪 女子卓球・福岡春菜<Number Web> photograph by AFLO

韓国との3位決定戦、2連敗で追い込まれた3戦目のダブルスを平野早矢香(右)と戦った福岡春菜。

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鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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AFLO

北京五輪、準決勝。福原愛があふれる涙を手で抑え、平野早矢香が左手の拳を強く握りしめる。日本のメダルが確定したその瞬間、北京で2人とともに代表だった「秘密兵器」の姿はなかった。

Number989号から連載スタートした『オリンピック4位という人生』を特別に掲載します!

 福岡春菜にとってオリンピックの記憶は長らくプレーそのものではなく、敗れた瞬間の自分の心模様だった。

 なぜあんなことを考えたのか。

 残っているのはそればかりで、どんな球を打ち、どのように敗れたのかはほとんど覚えていない。それだけ自分にとって許しがたく重大で、人生に多くを投げかけた瞬間だった。

「あの最後の一本、私は自分がミスして終わりたくないという、しょうもない考えしかなかったんです。あの瞬間は……、忘れたくても忘れられません」

「あれ、こんなに簡単に負けるの?」

 2008年、北京五輪。

 卓球女子団体の銅メダル決定戦を翌日に控えた夜、福岡は選手村のベッドに入っても寝つくことができなかった。

 頭にあったのは2日前の韓国戦だった。一次リーグ最終戦、日本は完敗した。

「あれ、こんなに簡単に負けるの? というほど何もさせてもらえませんでした」

 日本卓球界にはある期待がかけられていた。それは、20歳になる天才少女・福原愛が初めてのメダルをもたらしてくれるかもしれない、シングルスは無理でも団体ならば……という幻想的なものだった。

 そんな中でライバル韓国に完敗したというのは誤算に違いなかった。ただ結果以上に福岡を苛んでいたのはその内容であり、自分の内面と言ってもよかった。

 平野早矢香と組んだダブルスで福岡はほとんど何もできなかったのだ。

「自分が一番自信を持っているサーブで崩せる気がしなかった。読まれているというか、手の平で転がされているような感じでチャンスボールはほとんどありませんでした。とにかくボールが重くて、重くて……」

 韓国のカットマン・ペアとは五輪の2カ月前に戦ってほぼ互角の勝負をしたはずだった。それがなぜ短期間のうちにこうなってしまうのか。なぜわずか2.7gのピンポン球がこれほど重いのか。相手が素晴らしいのか、それとも自分のせいなのか。

 卓球選手として自分を生かしてきたサーブはいつから死んでしまったのか。

 夜が明ければ、その韓国とのメダル決定戦が待っているというのに、答えが出ない。 頭と心をめぐる思考のパラレルが福岡を寝つかせなかった。

「おもちゃのラケット」の希少性。

「おもちゃのラケット――」

 福岡の愛用するシェイクハンドはそう呼ばれていた。特異なプレースタイルと合わせて「邪道」と言われたこともある。

 ただ稀少性こそ福岡の強さであり、マイノリティーに徹することで這い上がってきた。その象徴が独特のラケットと変則フォームから繰り出されるサーブだった。

 徳島で生まれた小柄な少女はランドセルを背負うよりも早くラケットを握った。

 やがて四国界隈でその名を知られるようになり、12歳で卓上に生きると決心した。

 親元を離れ、全国屈指の強豪、大阪・四天王寺中学の門を叩いたが、待っていたのは冷たい現実だった。リーチもパワーも機動力も自分より上の選手はごまんといた。

『落ちこぼれティーズ』

 強豪校の中で福岡はそう呼ばれる集団のひとりになった。コツン、コツンと床にこぼれた球を拾う日々。

「もうやめよう。徳島に帰ろう」

 部屋でダンボールに荷物を詰めた。

 そんな14歳の春、人生は変わった。

【次ページ】 宝物に見えた「PF4」ラケット。

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