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オーナーの意向とコミッショナー。
MLB版「三方一両損」を提案する。
text by
芝山幹郎Mikio Shibayama
photograph byGetty Images
posted2020/06/20 09:00
6月10日、MLBドラフトの開会スピーチをするマンフレッドコミッショナー。1994~95年のストライキではオーナー側の法律顧問を務めた。
「今シーズンはキャンセルしても仕方がない」。
選手会は、当然反発した。
「114試合でシーズンを開催する」という対案を持ち出し、「試合数に比例した俸給」という原案を譲らない姿勢を示したのだ。
するとオーナー側は、さらに追い討ちをかけた。「ならば50試合に縮小しよう。それでなければ、今シーズンはキャンセルしても仕方がない」
アウトラインは、ざっとこんな感じだ。極言するなら、オーナー側は、選手の年俸総額を3分の1(約13億ドル)程度に減らしたがっているというのが本音だろう。
それができなければ、球界大衰退、もしくは球界消滅に結びつきかねない「シーズン休止」さえやむを得ないと考えているように見える。6球団のオーナーが「今季はキャンセル」を希望、という報道も見受けられる。
弱腰なマンフレッド・コミッショナー。
ここで気になるのが、「大リーグ管理の最高責任者」であるはずのマンフレッド・コミッショナーの弱腰だ。
マンフレッドは、オーナー側に対して毅然とした姿勢を示すことができない。もっとひどい言葉を使うと、オーナー側の傀儡に近いのではないかと勘繰りたくなることがある。
思い起こせば、かれこれ30年近く、コミッショナーの威厳は弱体化しつづけてきた。
最初の凶兆は、1989年9月、知性派で知られた7代目コミッショナー、バートレット・ジアマッティ(元イェール大学学長。ハリウッドの名脇役ポール・ジアマッティの父親)が心不全で急死したことだった。
ジアマッティを継いだ8代目のフェイ・ヴィンセント(元コロンビア映画社長)は、89年9月から92年9月までコミッショナー職をつとめた。この人も硬骨で知られ、90年のロックアウト事件では、オーナー側の譲歩を引き出したことで知られる。在任期間が短かったのは、このときの活動がオーナー側の不興を買ったためだ。