オリンピックPRESSBACK NUMBER
大事故で生死を彷徨った兄と共闘。
BMX榊原爽が五輪金へ決意新たに。
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph by(c)Saya Sakakibara
posted2020/06/18 07:30
オンライン取材で決意を語った榊原爽。BMX界から広がる支援の輪にも感謝の思いを伝えた。
生命力に溢れる兄の姿があった。
ところがここで新たな困難が押し寄せた。新型コロナウイルス感染症がパンデミックとなって世界を襲い、大会はすべてキャンセルされた。そして3月24日、ついに東京五輪の延期が決まった。
「最初にそれを聞いたときは、何をやっていけば良いのか、正直分からなくなりました。トレーニングのジムに行くとしても、何のためにやっているのか」
虚脱感に包まれた爽の心に再びスイッチを入れたのは、魁の存在だった。
キャンベラの病院からシドニー近郊のリバプールという町のリハビリセンターに転院したことで、今度は爽と両親の3人でローテーションを組み、魁の見舞いに行くようになった。目の前には生命力に溢れる兄の姿があった。
4月30日、魁が事故後初めて立ち上がった。
「毎回、行く度に魁が変わっているんです。しゃべる様子もどんどんスムーズになって、リハビリでも『こんなこともできるんだ!』と、見るたびに驚かされました」
さらに大きなサプライズだったのは、爽が当番でリハビリセンターを訪れていた4月30日のこと。魁が事故後初めて立ち上がったのだ。
「その姿をビデオで撮りながら、そこにいることができて良かったと心から思いました。両親と私にとっては『本当にここまで来たんだな』というアチーブメント。あれだけの事故から、3カ月たたずに立てるようになるなんて、本当にびっくりでした」
クラッシュしてヘリコプターで病院に運び込まれたときは、命の保証もなかったのに、自分の脚で立つ日が再び訪れたことに感動を覚えた。
しゃべることも少しずつ上達してきた。3月頃に「Yes」「No」と書いた紙を指さして意思を示せるようになると、リバプールに移ってからは声が出るようになった。
初めてしゃべった日は、父から「Yesと言ったよ!」と興奮した様子で連絡がきた。今では日本語も少しずつ会話の中に混じるようになり、簡単な会話ならできるようになっているそうだ。