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三沢光晴さんへの思いを込めて――。
ノア齋藤彰俊が放つバックドロップ。
text by
塩畑大輔Daisuke Shiohata
photograph byPRO-WRESTLING NOAH
posted2020/06/15 19:50
GHCヘビー級選手権をかけて潮崎豪(左)と戦った齋藤彰俊。今も三沢光晴さんへの思いを胸にリングに上がる。
三沢に憧れ続けていた男の絶望。
十字架を背負い続けていかなければならない。
齋藤は自分のことをそう語る。
空手をベースにした実力派レスラーとして評価されていたが、世の中に広く知られたのは技巧ゆえではなかった。
2009年6月13日。三沢光晴さんが試合中に亡くなるという事故があった。
その対戦相手が、齋藤だった。三沢さんは齋藤のバックドロップを受けると、そのまま動けなくなり、搬送された病院で息を引き取った。後に「頸髄離断」という診断結果が出された。
対戦相手とはいえ、齋藤は三沢さんに憧れ続けていた。三沢さんの団体で戦いたいと志願して、ノアに加わったレスラーだった。
自分を責めた。自分と同じように、三沢さんを愛する多くのファンに、顔向けができないとも思った。三沢さんが眠る病室で朝まで過ごしながら、齋藤は「自ら命を絶つしかない」とまで思いつめた。
ただ、ぎりぎりのところで思いとどまった。
世に満ちている、三沢さんを失った悲しみ、あるいは怒り。自分がいなくなってしまったら、みんなそうした感情をどこに向ければいいのか。
誰かが受け止めなければいけない。それは自分が果たすべき責任だ。
そんな齋藤の背中を、さらに強く押したのは、三沢さんの“遺言”だった。
「重荷を背負わせて、本当にごめん」
事故から2カ月後。一通の手紙を会社経由で渡された。送り主は、三沢さんの親友だった。「一語一句間違えないように、とよく思い出しながら書いたので、時間がかかってしまいました」とメモ書きが添えられていた。
内容は、事故の2年前に三沢さんが語った言葉を書き起こしたものだった。
「重荷を背負わせて、本当にごめん」
まるで自分の運命を予見していたかのように――。
三沢さんは友人にメッセージを託していた。「もしも自分がリングの上で事故にあったら、その時の対戦相手に伝えてほしい」と。
きっとお前は俺のことを信頼して、全力で技をかけてくれたのだと思う。それに俺は応えることができなかった。信頼を裏切る形になった。本当に申し訳ない。
そうした詫びの言葉の末に、三沢さんは1つの「願い」を託していた。
プロレスを続けてほしい。つらいかもしれないが、絶対に続けてほしい。
そんな旨がつづられていた。